【関西レジェンド伝】由美かおる(4)どんどん増えていった「水戸黄門」入浴シーン
この記事をお気に入りに登録しませんか!
【関西レジェンド伝】由美かおる(4)どんどん増えていった「水戸黄門」入浴シーン
女忍者役を25年。「疾風のお娟」の衣装でプロ野球の始球式を務めたことも【拡大】 私は好きなことを見つけると追求していくタイプですね。西野バレエ団の西野皓三先生の紹介で合気道の植芝吉祥丸先生に入門し、4段になりました。西野流呼吸法を学んだことで、厚生大臣の私的諮問機関「国民健康会議」や厚生省「医療審議会」委員にも選ばれ、今では全国各地から講演の依頼をたくさんいただいております。 1986(昭和61)年からはTBS「水戸黄門」のレギュラーになりまして、週5日を京都で暮らす生活が25年続きました。京都は生まれ故郷だから落ち着きますし、ロケーションの場所がお寺や神社なので桜や紅葉など四季折々の美しさを楽しみながら仕事できましたね。ただ、京都は夏は暑くて冬は寒いでしょ。山の中での撮影が多かったので、ブヨに刺されたり、大きな蜂の巣があったり…。 「かげろうのお銀」の忍者の衣装は自分でデザインしました。プロデューサーに「今までにない役柄だから」と言われたので、「動きやすくてかっこいい衣装を考えます」と返事をし、網タイツ、着物を短く切ったような超ミニスカート、ブーツのような靴。ファスナーが見えないようにするなど工夫しました。 立ち回りはいちばん好きでしたね。合気道を習っていたので、投げ飛ばすときや受け身に役立ちましたし、バレエをやっていたのは蹴り技などに役立ちました。それに、呼吸法を使うと力が増すんです。悪役のかたが「思い切り突いていいから」と言うので、呼吸法を使って突きを入れたところ、その方が失神しそうになったこともありました。 【続きを読む】
[紹介元] 「芸能社会」の最新ニュース – SANSPO.COM(サンスポ・コム) 【関西レジェンド伝】由美かおる(4)どんどん増えていった「水戸黄門」入浴シーン