中曽根元首相、101歳老衰で死去 風見鶏が導いた日本丸
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中曽根元首相、101歳老衰で死去 風見鶏が導いた日本丸
1983年に行われた日米首脳会談で、レーガン米大統領(右)と並ぶ中曽根康弘首相(肩書はいずれも当時)【拡大】 「戦後政治の総決算」を掲げて戦後第5位の長期政権を担った元首相の中曽根康弘(なかそね・やすひろ)氏が29日午前7時22分、老衰のため東京都内の病院で死去した。101歳。群馬県出身。葬儀・告別式は近親者のみで行い、後日お別れの会を開く。喪主は長男で参院議員の弘文(ひろふみ)氏。政権同様、中曽根氏自身も歴代首相の中で2番目の長寿で、今年の夏頃まで、都内の事務所に時折、姿を見せていたという。 敗戦から約37年、「戦後」を真に終わらせるべく、首相の座についた。そして数々の業績を残した“巨星”が、令和の最初の年に逝った。 中曽根元首相は海軍主計少佐として終戦を迎えた。1947年、衆院旧群馬3区で初当選し、以後当選20回、議員在籍56年に及ぶ。67年に第2次佐藤栄作内閣で運輸相に就任したが、このときは「反佐藤」の立場を一転させ「風見鶏」と批判された。 以後、防衛庁長官、通産相、自民党幹事長などを歴任し、82年11月、第71代首相に就任した。在任期間約5年、1806日間は戦後第5位だ。 在任中には数々のタブーの打破に挑んだ。目指したのは「小さな政府」と「市場競争」。当時の国鉄、日本専売公社、日本電信電話公社の民営化を実現した。 85年に首相として戦後初めて靖国神社を公式参拝。しかし中国が猛反発。翌年は見送った。防衛費の国民総生産(GNP)比1%枠撤廃などにも挑んだ。 【続きを読む】
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