【悼む】渡哲也さんは人の上に立つ人格者、死ぬまで大スターであり続けた姿は人生の道標

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【悼む】渡哲也さんは人の上に立つ人格者、死ぬまで大スターであり続けた姿は人生の道標
記者がインタビューした当時の渡さん。時間をオーバーして話すほど優しかった =2009年6月撮影【拡大】

 「大都会」「西部警察」など数々のドラマや映画で存在感を示した俳優、渡哲也(本名・渡瀬道彦)さんが10日午後6時半に東京都内の病院で肺炎で死去していたことが14日、石原プロモーションから発表された。78歳だった。 男気あふれる人だった。部屋に入った記者を立ち上がって迎え、「口ベタですので、よろしくお願いします」の第一声。子供世代の記者に180センチの長身を折り曲げ、深々と頭を下げてくれた姿が忘れられない。 裕次郎さんのことはもちろん、父親の賢治さんに「プレスリーのレコードを聴いていたら、プレーヤーごと斧で叩き割られました」と厳格さをほうふつさせる思い出話に驚がくしていると、「私が5歳のとき、海で流されて半分、死にかけたことがありました。医師にも見放されるような状況でしたが、父は裸になって、私を一晩中抱き続けてくれたんです」と深い愛情秘話を明かした。 続けて、自身の一人息子に触れ、「2歳のとき、思い通りにならないと食べたものを吐くようになりましてね。冬場の風呂場に閉じ込めたんです。それから吐かなくなりました」と厳しい昭和の父の顔を垣間見せたことを思い出す。 あっという間だった20分のインタビュー。時間切れで退出するとマネジャーから「まだ時間があるから、と渡が言っています」と呼び止められ、再び戻り、その後40分も世間話をしてくれた。 その後、都内のホテルで会った際も丁寧に頭を下げられた。芸能人であろうが記者であろうが、分け隔てのない渡さんの行い。人の上に立つ人格者だったからこそ、死ぬまで大スターであり続けた姿は、人生の道標になっている。 (石原プロ担当・栗原智恵子)

[紹介元] 「芸能社会」の最新ニュース – SANSPO.COM(サンスポ・コム) 【悼む】渡哲也さんは人の上に立つ人格者、死ぬまで大スターであり続けた姿は人生の道標