石原軍団の“鉄の結束”につながった渡哲也さんのフェアプレー精神

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石原軍団の“鉄の結束”につながった渡哲也さんのフェアプレー精神
「松竹梅」のCM撮影を終え、笑顔の渡さん(左から3人目)と石原軍団の左から舘、宮下裕治、金子憲史、神田正輝、池田努=15年11月撮影【拡大】

 10日に肺炎で死去した俳優、渡哲也さん(享年78)を誰よりも慕った同じ石原プロ所属の俳優、舘ひろし(70)は、コロナ禍でお見舞いを遠慮していたため、臨終に立ち会えなかったことが14日、分かった。 トラブルやもめごととは無縁の石原軍団。1987年に裕次郎さんが52歳で亡くなった後は渡さんが中心となり、神田正輝(69)や舘ひろし(70)らをまとめた。 後輩が絶大な信頼を寄せる渡さんのリーダーシップの根底には裕次郎さんへの尊敬の念がある。 渡さんは71年に日活を退社後、複数のオファーを蹴って石原プロへ。当時、石原プロは映画の不振で多額の借金を背負っていたが、渡は石原プロを救うため、裕次郎さんに全財産の180万円を差し出したという。 また、渡さんは昨年のラグビーW杯で週刊誌の記者に「ラグビーのルールはよくわからないけど、男のスポーツ。選手らがレフェリーに対して文句を言わないところがいい」などと語っていた。私生活や仕事でフェアプレー精神を貫いたことが、石原軍団の“鉄の結束”につながった。★結束象徴炊き出し 石原軍団の結束力と男気の象徴だったのが炊き出し。2011年3月の東日本大震災から約1カ月後、津波被害が大きかった宮城・石巻市を訪問し、特設屋台を設けて食料と笑顔を届け、傷ついた人々を癒やした。1995年1月の阪神大震災でも発生から1カ月後にトラックに食材を積んで駆けつけ、テント生活を送りながら被災地を回った。メニューは焼きそば、カレー、おでんにぜんざい…。心のこもった伝統の儀式だった。

[紹介元] 「芸能社会」の最新ニュース – SANSPO.COM(サンスポ・コム) 石原軍団の“鉄の結束”につながった渡哲也さんのフェアプレー精神