【写真5枚】波瀾万丈!岸部四郎ヒストリー
岸部さんは2003年に脳出血で倒れ、その後、パーキンソン病を患い、闘病を続けていた。この数年は姉が住む千葉県内の病院に入院し、芸能界復帰を目指していたが、8月28日、拡張型心筋症による急性心不全で死去した。最期は姉と、兄で俳優の岸部一徳(73)がみとったという。
岸部さんは1969年、サリーこと兄・おさみ(一徳)がリーダーを務め、ボーカルのジュリーこと沢田研二(72)が人気を博していた「ザ・タイガース」に、トッポこと加橋かつみ(72)の脱退に伴い、新メンバーとして加入。
後の本紙連載では「加入する2年前にバンドボーイ(付き人)になったんですが、1年で辞めて米国を1年間放浪。〝音楽修業に行っていたサリーの弟が満を持して帰国、加入〟でいいじゃないかとなって加入したけど、楽器は何もできなかったから〝エアギター〟。それがファンにバレて、その後はタンバリンとマラカス、それもボーカルの邪魔になるからと、音の出ないヤツを振ってました」と明かした。
71年、ザ・タイガースの解散後、21歳の時、1歳年上のハーフ女性と結婚。1男1女を授かり、俳優業でも「西遊記」の沙悟浄役などで活躍。
84年からは13年間、朝のワイドショー「ルックルックこんにちは」(日本テレビ系)の司会を務めるなど、順風満帆だった。
しかし、様々な事業や骨董品集め、他人の連帯保証人になったことなどで5億円超の借金を背負って、98年に自己破産し「ルック――」を自主降板し、生活は暗転した。
岸部さんは連載で「降板した時、年収は2億円とか報じられたけど、実際の『ルック――』のギャラは1日10万円でした」とも明かしていた。
95年には再婚した14歳年下の妻・小緒里さんがマネジャーとなり、公私ともに支えたが、岸部さんは前述の通り、脳出血で倒れ、その後は歩行困難、視野狭窄、パーキンソン病の闘病生活を強いられた。07年には小緒里さんが心臓発作で突然死し、独り身となった。
それでも、本紙連載当時は、テレビ番組で「俺を誰やと思てんねん。元金持ちやぞ」などと〝自虐ネタ〟を披露。持ち前のひょうひょうとしたトーク力で〝脱力系ゆるキャラ〟などと人気になった。
そんな〝ゆるキャラ人間〟岸部さんの最後の公の場となったのは13年12月、「ザ・タイガースライブツアー」最終日の東京ドーム公演だった。岸部さんは車いす姿で登壇し、メンバーらと「イエスタデイ」を歌った。
岸部さんはこのきっかけとなった沢田の〝再結成宣言〟が心底うれしかったと本紙に明かした。
「ジュリーがラジオで『(メンバーで一番年下の)シローがもうすぐ60歳になるから、集まってやってもいい』と話していると人づてに聞いて、僕の誕生日も覚えてくれて、びっくり。正直うれしかった」
メンバー6人での再結成が実現した岸部さんは「無理して参加しました。東京ドームは小さかったなぁ」と持ち前のサービス精神で報道陣を笑わせた。
所属事務所は15日に、「ザ・タイガース時代から応援してくださいました、たくさんのファンの皆さま、芸能関係者の皆さま、治療やリハビリに携わってくださいました全ての方達に心から感謝しております」とのメッセージを発表。
葬儀はすでに家族のみで営まれたという。東京スポーツ