【アーカイブ】小松政夫さん、「2人のおやじ」の秘話明かす

FavoriteLoadingこの記事をお気に入りに登録しませんか!

オタクエンタメニュースです!
アイドルからアニメや声優、マンガ、ゲームを網羅するオタクのニュースを配信しています。
気になる話題のニュースや芸能の最新ニュースを掲載中!

今回の最新ニュースはこちらです!!

【アーカイブ】小松政夫さん、「2人のおやじ」の秘話明かす
小松政夫さん【拡大】

 7日に78歳で死去したコメディアン、小松政夫さん。芸歴55周年を迎えた2019年9月、サンケイスポーツの大型インタビュー「ヒューマン」で故郷の福岡・博多で過ごした幼少時代や、芝居にかける思いを語っていた。当時の記事を紹介します。
 芸歴55周年を迎えたタレント、小松政夫(77)が、22日に東京・日本橋浜町の明治座で開幕する「めんたいぴりり 未来永劫編」(29日まで)に出演。故郷の福岡・博多を舞台にした同作で“恩返し”する。第二次世界大戦後、少年時代に焼け跡で出会った露天商の威勢の良い口上を覚えたことが「今につながっている」と感謝。役者の原点を育んだおおらかな博多の風土と厳しくも懐が深かった“2人のおやじ”との秘話を語り尽くした。(ペン・栗原智恵子、カメラ・加藤圭祐)

googletag.cmd.push(function() { googletag.display('div-gpt-ad-Rec_Article'); });

 作務衣に足袋姿で気合を入れた小松が稽古場に現れると、不思議と空気が引き締まった。
 4月に福岡・博多座で上演した「めんたいぴりり 未来永劫編」は、博多華丸(49)演じる韓国・釜山で生まれた主人公、海野が、第二次世界大戦後に引き揚げた博多で明太子作りに奮闘する物語。地元の英雄について小松は「海野は、自身で研究を重ねた明太子の作り方を『知りたい』と言った人に堂々と教えた。そのおおらかさが博多っ子らしい」と誇らしげに語り始めた。
 自身は海野を励ます博多人形の職人、丸尾老人役。「調子のいいことばかり言って、海野にお金を借りまくる。喜劇の神髄でもある『面白くてやがて悲しき』を体現する役だから、東京でも臆せず、大いばりで博多弁を駆使していくよ」と豪快に笑った。
 博多の繁華街で菓子店を経営する両親のもと、7人兄弟の5番目としてわんぱくに育った小松。「焼け跡にはバナナ、蛇の薬、十徳ナイフのたたき売りが軒を連ねていてね。その口上も面白くて、全部覚えて『雅坊(自身の愛称)の演芸会』をやった。それが今につながった」と断言。平和が訪れた街の熱気と機知あふれる人々が小松の観察眼を育てた。
 料理学校の教師から実業家に転身した父は厳格だった。「食事のとき、嫌いなニンジンをはじけば『何してる!』って、象牙の箸で額をバシーンとたたく。俺も泣けばいいのに『いてぇな、いてぇな』ってふざけるもんだからまたバシーン。額から血が落ちたご飯を『辛子明太子みたいになっておいしくなった』ってちゃかして、またバシーン!」と持ちギャグ「いてぇな」の爆笑秘話を明かした。
 生粋の九州男児だった父は、小松が13歳のときに結核で他界。一転、母さえ知らなかった借金で自宅は人手に渡り、生計を助けるため夜間の高校に通いながら昼間は和菓子店で働いた。
 「高校を卒業するとき、店の社長のお母さんに、東京で役者になるので前借りできませんかって頼んだら、『そういうのは前借りじゃなくてお餞別というのよ』って、100円札で1万円分持たせてくれた」。ラーメンが30円の時代に感謝してもしきれないほどの愛情をもらった。
 この餞別で横浜に住む兄の元へ。多くの職業を経験後、18歳で車の販売員になり、会社員の月給が1万4000円の時代に15万円を稼ぐまでになった。それでも役者への夢は忘れられなかった。
 その頃、“育ての親”であるクレイジーキャッツの故植木等さんの付き人兼運転手募集の記事を発見。面接日に急な仕事が入って2時間遅刻したものの、途中で必死に電話をしながら駆け付け、応募者600人から採用された。当時を振り返り、「ハタチそこそこでしたが、英国製のスーツに髪もセットしていたから、キチンとしていると思われたのでしょう。あと車の運転ができたことでしょうね」と照れまくった。
【続きを読む】

[紹介元] 「芸能社会」の最新ニュース – SANSPO.COM(サンスポ・コム) 【アーカイブ】小松政夫さん、「2人のおやじ」の秘話明かす