【芸能界 悲しみの声】北島三郎、なかにし礼さん訃報に「また一人かけがえのない友を失った」

オタクエンタメニュースです!
アイドルからアニメや声優、マンガ、ゲームを網羅するオタクのニュースを配信しています。
気になる話題のニュースや芸能の最新ニュースを掲載中!

今回の最新ニュースはこちらです!!

【芸能界 悲しみの声】北島三郎、なかにし礼さん訃報に「また一人かけがえのない友を失った」
なかにし礼さん【拡大】

 「北酒場」「石狩挽歌」「まつり」など数々のヒット曲を生んだ作詞家で直木賞作家、なかにし礼(本名・中西禮三=なかにし・れいぞう)さんが23日午前4時24分、心筋梗塞のため東京都内の病院で死去したことが25日、分かった。82歳だった。
 なかにし礼さんの訃報を受け、芸能界も悲しみに包まれた。
1984年の「まつり」でタッグを組んだ歌手、北島三郎(84)「また一人かけがえのない友を失った悲しみに胸が痛みます。一緒に作りあげた『まつり』は北島三郎の代名詞といえる立派な宝物となりました」

googletag.cmd.push(function() { googletag.display('div-gpt-ad-Rec_Article'); });

故人が訳詞した1965年の「知りたくないの」で知られる歌手・菅原洋一(87)「なかにしさんの詞で僕は世の中に知ってもらった。恩人です。10年ほど前、息子の曲に詞をお願いしたとき、『詞を書くのはやめたけど、息子さんのためなら』と『ビューティフルメモリー』を書いてくれた。優しい人でいつもにこにこしていた。出会えてよかった」
1975年のヒット曲「石狩挽歌」を歌唱した歌手、北原ミレイ(72)「『石狩挽歌』のレコーディングでは『ハイヒールなんか脱いで裸足になって歌え』と叱られ、上手く歌えず悩んでいたら『一度歌の舞台を見た方がいい』と北海道に連れて行って下さったり…。『石狩挽歌』は、私の宝物! そして『なかにし礼は、私の永遠の憬れ!』」
1989年の「風の盆恋歌」を歌唱した歌手、石川さゆり(62)「何時も心濃密に歌を創ってきました。どんな心の変化もささやかな事もご連絡いただきましたのに、今回だけは人から聞くなんて、今はまだ受け入れられません」
遺作となった2月発売の「母」を歌った歌手、氷川きよし(43)「すごい偉い先生なのに、私のような若い人間の話を真剣に聞いてくださり、心を汲んで、『母』という詩を書いてくださいました。なかにし先生からいただいた『櫻』『出発』『母』は、先生からの人生のメッセージです。これからも大切に歌わせていただきます」
プロ野球選手のレコードデビューがブームだった83年に『あなたまかせの夜』を歌唱した江本孟紀氏(本紙専属評論家)「六本木のスポーツジムでよく顔を合わせていて、ご縁もあって作詞していただいた。B面の『独身主義者のモノローグ』は、私が独り言をつぶやくだけの歌詞。驚いたし、楽しかった」

[紹介元] 「芸能社会」の最新ニュース – SANSPO.COM(サンスポ・コム) 【芸能界 悲しみの声】北島三郎、なかにし礼さん訃報に「また一人かけがえのない友を失った」