バラエティー番組「欽ちゃんのどこまでやるの!」などを手掛けた元テレビ朝日の取締役・編成制作局長でジャパン・コンテンツ・コンサルティング社長の皇達也(すめらぎ・たつや)さんが20日朝、誤嚥性肺炎で東京都内の病院で死去したことが21日、分かった。79歳だった。近く家族葬が執り行われる予定で、喪主とお別れの会は未定。
複数の関係者によると、入院先の病院で19日夜に容体が急変。数年前に妻に先立たれてから1人暮らしをしていた。酒やたばこはやらず、週1度は病院で定期検診をするほど健康に気を付けていたという。
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しかし、昨年12月28日頃、新型コロナウイルスに感染。当時、病床がひっ迫しており自宅療養をしていたが、正月に容体が急変したため救急搬送され、手厚い治療を受けた結果、回復した。今月末に退院予定だったが、帰らぬ人となった。
普段から社員や知人に「コロナ禍で大変だろうけれど、自分の人生は自分で切り開け。俺もバックアップするから」と声を掛けるなど、最期まで人情深い人だったという。
皇さんは慶大卒業後、64年にNET(現テレビ朝日)に入社。76年には萩本欽一(79)の「欽ちゃんのどこまでやるの!」、キャンディーズと伊東四朗(83)、小松政夫さん(享年78)の「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」で「電線音頭」を大ヒットさせた。
さらに、82年にタモリ(75)の「タモリ倶楽部」、85年には「ミュージックステーション」、ビートたけし(74)の「ビートたけしのスポーツ大将」などを創り上げた。
2001年にテレビ朝日サービス社長、06年にジャパン・コンテンツ・コンサルティングの社長に就任。豪快な一面を持ちながら、常にテレビ界の行く末を心配していたという。