連れて行かれたのは大阪・ミナミで人気の餃子店「南平」だった。
もう30年ほど前のこと。3度目の結婚をするという情報をつかんだので、独自に話を聞こうとしたら、逆に食事に誘われた。しかし、相手の女性のことをおもんぱかってか、一切認めない。
「キミは何を言うてるんや。おかしなことばっかり言うてからに」
舞台で見せるコミカルさのかけらもない。ちょっと怖いくらいだった。変人という人も多いが、普段は紳士。4度の結婚はその証しだろう。大村崑さんのそっくりさんとして、デビューした頃の話を延々としてくれた。
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「当時18歳で手取りで月給18万円はもらっていた」と言う。大卒男子の初任給が1万3000円くらいの頃の話である。
話をはぐらかされたが、厳しいことで知られる師匠の花紀京さんに聞くと、「メシに誘った時点で結婚を認めとるんやで。アイツ、普段はしょーもないやろ。でもな、舞台であの紳士がチョける(ふざけるの意)から、オモロいわけや」。スクープして、3日連続で大阪版の最終面を飾るほど、当時は人気絶頂だった。
香港での番組ロケに同行したときは、インタビューの時間になっても姿を見せなかった。撮影スタッフは青い顔をして、走り回っている。名物の2階建てバスの2階で、立っていたらしい。香港は街中でも道路に看板が飛び出しており、頭を直撃し病院に運ばれていた。脳しんとうを起こしていたが、病院から戻ってくると、照れもなく「大丈夫」。あの時ばかりは「ごめんくさい」くらい言ってほしかった。二枚目さんに合掌。(サンケイスポーツOB、元演芸担当、清水泰史)