女性は死亡時に妊娠26~30週だったと推定され、ミイラが入念につくられていることから上流階級出身の可能性が高いという。死因は分かっていない。胎児が残された理由は不明だが、研究者によると、死後の世界に関する当時の信仰が背景にあるとの見方のほか、胎児を取り出すこと自体が困難だったとの推測も出ている。
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女性のミイラは1826年にポーランドのワルシャワ大に寄贈され、ひつぎに記された文字から長らく男性聖職者のものだと思われていた。
だが、研究チームは19世紀に古物商がこのミイラを本来とは別のひつぎに移し替えた可能性があると指摘。今後、女性の死因も調査したいとしている。(共同)