矢部 岡村と距離できていた

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矢部 岡村と距離できていた
矢部浩之1990年、矢部浩之が岡村隆史を誘い、ナインティナインは結成された。デビューから数年で『ぐるナイ』と『オールナイトニッポン』が始まり、誰もが知る人気者になった。テレビの黄金期を躍動しながら、療養も、復帰も、結婚も、失敗も経験した。

【インタビュー前編】「少年ナイフ」だった90年代の岡村隆史(写真)

その隣には、常に相方がいた……わけではなかった。

矢部浩之が、相方・岡村隆史との30年と、これからのナインティナインを考えるロングインタビュー後編。40過ぎて「人間」に戻れた――結婚や子供が生まれたことは、芸人としての矢部さん自身に何か影響はありましたか?

矢部 めちゃめちゃありました。もう全然飲みに行ってくれないとか子供にデレデレやとか、よく後輩に言われるんですけど、やっと「人間」に戻れたんですよ(笑)。「芸人とは」っていうキャラづけとして、多少は女遊びしとかなとか、朝まで飲まなとか、そういう思いがあったんです。それでイジられてもきたし。

それで結婚して子供できて、しかも男の子ふたり。まるで小さいころの兄貴と自分を見てるようなんですよね。虫取りとか遊びに行ってたら、自分の小さいころをバーっと思い出して、完全にお笑いのことは1回考えなくなったんですよ。こんなことになんねやと思って。でも、焦らなかったんですよね。「俺、今人間なんや」と思って。

高校卒業する18までは「人間」やったけど、芸人を始めた19から「人間」じゃなくなって無理して無理して……。子供できて40過ぎてからまた「人間」に戻って、なんかめっちゃええなあと。楽になった。焦る人は焦ると思うんですよね。たぶんそこを見ないようにして仕事する芸人さんもいるんでしょうけど、僕は「もう完全に1回行ってまえ!」と思って。プライベートがすごく楽しくなった。

今はもう子供が6歳と4歳になったので、だんだん棲み分けができて仕事に戻って来られた感じですね。本当に景色が変わりました。昔、朝まで飲んで朝方に帰ってきて、六本木の花壇にゲロ吐いたんです。ほんと申し訳ない話ですけど。でも長男が生まれてから、朝の散歩に出かけるとき、その同じ花壇を逆から見るんです。ここでゲロ吐いたなあって。景色が真逆になった。そのときに、どっちがいいかと考えたらやっぱり後者で。同じ花が全然キレイに見えました。反省ですよね、あんなキレイな花にゲロ吐いて。

[紹介元] Yahoo!ニュース・トピックス – エンタメ 矢部 岡村と距離できていた