【写真】神田うのが娘の手料理に感激「ママは嬉し過ぎるよ」…8歳の娘が1人で作った朝食
「会社が名前を変えるということになり、そこで新たに契約をしないといけなかったんですね。その時に新たな気持ちで、とはなれませんでした。直感的に違うなと思いました」
直感的に感じた「違う」とはどういうことか。
「事務所が新しい社名になった時、今まで私がいた事務所とは違う事務所になってしまうのかなと思ってしまいました。私は、若い時のように仕事をバリバリやっていた時とは違い、今は子育てがメイン。今は母親でいることがメインの人生です。今の私はバリバリ仕事します、タレントです、という感じでもないです。たとえばインスタグラムも自分でやっていますし、スケジュールも昔みたいにキツキツではないです」
母として生きることが今の人生の中心にある。事務所退所のきっかけの1つという。うのは、母としての生活の一端も紹介してくれた。
「毎朝5時半に起きて、朝食を作って娘に食べさせ、バレエのお稽古もさせて、その間にお弁当を作ってという日々。その後、仕事や娘関係の集会があったり、終わって夕ご飯も作る。朝と夜は戦争です。今の私が事務所にいても戦力にならず申し訳ない思いもありました」退所した事務所の社長へ感謝「芸能界の父。私は他の事務所では通用しなかった」パティシエスタイルの神田うの【写真:荒川祐史】 最近、うのだけでなく事務所を辞めて独立する芸能人が多い。どう分析しているのか。
「昔ほど事務所に所属する必要性は高くなく、今は自分でやっていける時代ということだと思います。昔と違いインスタなどSNSで自由にファンに向けて自分を表現し、発信できます。SNSの存在は特に大きいです」
31年間を振り返って、退所した事務所や自身の芸能生活をどう感じているのか。
「所属していた事務所の社長は私にとっては芸能界の父。本当に優しい人。私は自由をもらってきたと感じています。元々モデルの私は演じることは好きではなく、昔、ドラマの仕事をやりたくないと言ったことがあります。歌もやりたくないのにCDデビューし、もう嫌だと言ったことも。社長は『分かった』と言ってくれました。私は他の事務所では通用しなかったと思います。今思うと、ひどい私でした。もっと仕事を丁寧にこなしていれば代表作みたいなものを残せたかもしれません。遊びの延長と思って仕事をしていたような面もあり、ハチャメチャでした(笑)。もっと仕事のありがたさを感じるべきでした。今は反省と同時に周りの方は優しかったなと思います」
多忙な時代は過ぎ、今はコロナ禍もあって、インスタグラムなどで娘の成長や手料理を紹介している。娘への愛情の深さ、料理にいたっては食器1つにもセンスの良さを感じる。
「今は1つ1つをちゃんと丁寧にと心掛けて生活しています。娘は9歳になります。手も肩幅も毎日、大きくなっています。子育てには待ったがないです。特に食事は体を作っているので大事。食べ物にはこだわっています。私の母は私が子どもの頃、添加物なしの材料でいろんな物を作ってくれました。すべて手作り。ポテトチップスもパンも。とにかく食育に関しては母を見習い、私もそうしてあげたいと思ってやっています。結婚前、料理は食べる専門で、作ったことがなかった私が、娘の存在で変わりました。娘は私を成長させてくれます。宝物。誰の言う事も聞かなかった、わがままだった私を娘が変えました」