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「小さい頃から映画を観るのが大好きで、小学校の頃はロードショーなんかをテレビで観ていました。僕も将来は映画の仕事をしたいと思って、小学校の卒業文集に『大スターになって女の子にモテモテのところを(担任の)先生に見せつけること』って書いたぐらいです。僕が芸能界を志すようになったのも、僕が普通に会社に勤めていたら家族を養えないと子供心にも思っていたのと、おふくろも芸能界に憧れていたみたいで、その思いを僕に託すようなことを言われていたという影響もあると思います」(沢村一樹)25歳のときに憧れの雑誌の表紙モデルに(沢村一樹)――高校卒業後、同級生が進学や就職するなか、沢村さんは地元でアルバイトをし、20歳で18万円を手に上京して俳優を目指す。21歳のときに、バイト先のライブハウスの客の紹介でモデル事務所に入る。その後、25歳で雑誌『MEN’S CLUB』専属モデルとなり、1年間表紙モデルを担当し、注目を集め始める。
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「上京後、バイト先のライブハウスでバイトリーダーをしていたときにお客さんにモデルとしてスカウトされた。でも、モデルだけじゃ全然食べていけなくて結局4年半ぐらいそこでバイトしていたんですが、『俺はこんなことをするために東京に来たんじゃない』と。そしたら、24歳のときに別のモデル事務所に声をかけてもらったんです。いきなり『明日“MEN’S CLUB”だから』と言われたときは驚きましたね。表紙自体の収入は数万円ですが、その仕事をやっていると他の仕事のオーディションで受かるんです。だから、収入は前の年の10倍、20倍と跳ね上がりました」(沢村一樹)