2011年3月11日の東日本大震災発生時、官房長官を務めていた枝野幸男・立憲民主党代表(56)が9日、インターネットライブ配信サービス「ニコニコ生放送」に出演した。当時の危機管理や情報発信を振り返り、「官邸にはあらゆる情報が入っていると思っていた。違います。むしろ入ってくる情報は遅れる」と述べた。
3月11日の発生当日、首都圏の鉄道の再開の見込みを国土交通省の担当者に聞いても確かな答えが返ってこなかったことで、「少なくとも『動くのか』と3回は聞いた。当時の総理は『イラ菅』といわれていたが、私も3回目は怒鳴った」と笑いながら明かした。遅れるのは、各省庁が不正確な情報を報告しないために確認作業に手間取るからとした。
googletag.cmd.push(function() { googletag.display('div-gpt-ad-Rec_Article'); });
連日の記者会見では放射能に関する「直ちに影響を及ぼすことはない」との発言が当時話題になった。これについて「(放射能の影響について)正確、正直にしゃべっていたという自負はある」と説明した。
また若者へのメッセージとして、「(災害は)次にどこでだれの身に降りかかるか誰にもわからない」と訴えた。