【関西レジェンド伝】林与一(5)くそ生意気で横暴…若い頃思い冷や汗

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【関西レジェンド伝】林与一(5)くそ生意気で横暴…若い頃思い冷や汗
昨秋は京都・南座で「喜劇 道頓堀ものがたり」に出演(前列左から2人目)。喜寿を迎えても精力的に活動している【拡大】  1969(昭和44)年に三島由紀夫先生が「椿説弓張月」という歌舞伎をお書きになり、琉球の侍の陶松寿という役にどうしても林与一を使いたいとおっしゃってくださり、「俳優協会に名前のない者は出せません」という国立劇場に出演することができました。その実績から、78年に水谷八重子さんが「女人哀詞」という芝居で「与一ちゃんを相手役にしたい」と言ってくださったときも国立劇場に出演できまして。僕はあの世に行ったら、いろんな方にお礼参りをしなきゃいけない。 一昨年、膀胱(ぼうこう)がんで1カ月入院しまして、集中治療室で寝ているときに初舞台からのことを思い出しました。成駒屋の看板で歌舞伎に15歳から出まして、50歳の弟子を殴ったり蹴飛ばしたりしました。ほかの役者にも罵倒を食らわしたり、けんかして殴ったり。謝らなきゃいけない人が大勢います。師匠の長谷川一夫は「病気やけがで寝るのは、神様が反省する材料があるだろうということで床につかせてくれるのだから、その間に反省しろよ」と言っていました。病気をしたのは、いい反省になりましたね。 とにかく、若い頃はくそ生意気で、人気が出た22歳から30歳くらいまでは横暴を極めていました。今思うと、ひどいことをしていたと冷や汗が出ます。長谷川には「えばれるときはえばれ。でも、ずっとは続けるなよ」と言われていました。30歳を過ぎた頃、「そろそろ分かったか」って指摘され、徐々に態度を改めていきましたが、治るまでに10年近くかかりましたかね。 なにしろ、女は口説くもんじゃない、向こうから寄ってくるものだと思っていました。長谷川には「女遊びはいいが、変なのには引っかかるな」とくぎを刺されていたので、外国へ遊びに行ってました。台湾が多かったですね。スケジュールが3日空いたらすぐ行くという感じでしょっちゅう行ってたけど、観光地には行ったことないな。故宮博物館に1回行っただけですよ。 【続きを読む】
[紹介元] 「芸能社会」の最新ニュース – SANSPO.COM(サンスポ・コム) 【関西レジェンド伝】林与一(5)くそ生意気で横暴…若い頃思い冷や汗