【朝ドラのころ】1997年「あぐり」田中美里(2)野村萬斎の姿勢に感銘「ちゃんと女優さんになりたいと思えた」

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【朝ドラのころ】1997年「あぐり」田中美里(2)野村萬斎の姿勢に感銘「ちゃんと女優さんになりたいと思えた」
配役発表で並んだ田中(右)と萬斎。あぐりとエイスケのコンビが人気を集めた=1996年11月撮影【拡大】

 撮影は、お茶を入れたりご飯を食べたり、普通の生活のシーンは日ごろの自分が出てしまうし、何気ないシーンがとても難しいなと感じました。 あぐりの夫のエイスケさんを演じた野村萬斎さんは狂言師でもあるだけに、何でもないセリフがおもしろおかしかったりして、こんな表現の仕方があるのかと感じることが多かったですね。 せりふは真面目に読むこともできれば、ユーモアも足すこともできると教わりました。ほかの作品に入ったとき、真面目な部分でもクスっと笑えるところはないかなと探してしまうのですが、それは萬斎さんを見てきたからだと思います。 役者になる前から本が好きでした。本は想像が無限に広がっていくので、台本がある演技は映像になって1つの答えを出すみたいで、面白いことなのかなと思っていた時期があったんですね。 それを払拭してくれたのが萬斎さんでした。台本に書かれているもの以上の面白いことを常に考えていて、台本から飛び越えたものを作られていました。こういうふうに演技をしていくならこの世界はとても楽しいし、ちゃんと女優さんになりたいと思えたのは萬斎さんのおかげです。 小道具1つ1つにもアイデアを出していて、エイスケさんが巻いていた赤いスカーフは萬斎さんのアイデアでした。いろいろな部分で引っ張っていってくださいました。 あぐりとエイスケさんの息子の淳之介の子供時代を演じたのは、(当時はジャニーズJr.の)生田斗真さんでした。親子役なので、私のひざの上できゃんきゃん言っていて、本当に子供だなと思っていたのですが、8歳しか変わらないんですよね。思ったより大人で不思議な感じがしました。 生田さんは当時、撮影の合間、スタジオの廊下でジャニーズのダンスみたいなものを踊ったり、歌ったりしていて、ずっと練習していたのを覚えています。すごくプロだなと思って見ていました。その後、共演する機会はないのですが、舞台を見に行ってごあいさつすると、『お母さん』と呼んでくれます。 朝ドラの撮影はハードと言われますが、私も睡眠を取るか、セリフ覚えを取るかという毎日を送っていた気がしますね。衣装さんが台本を持ってくれて、着替えながら覚えたこともあります。 美容師を演じるため、撮影に入る半年前から本職の美容師さんに教わりました。本物の髪の毛を切るシーンがあり、それがすごく緊張しました。(21日に続く)1997年の世相【主な出来事】▽神戸連続児童殺傷事件▽山一証券自主廃業▽消費税が5%に▽サッカー日本代表がW杯初出場を決める【ヒット商品】「たまごっち」(玩具)「プリウス」(自動車)【流行語】「失楽園」「たまごっち」【ヒット曲】「CAN YOU CELEBRATE?」(安室奈美恵)「硝子の少年」(KinKi Kids)【映画】「もののけ姫」「タイタニック」【ドラマ】「ラブジェネレーション」「失楽園」

[紹介元] 「芸能社会」の最新ニュース – SANSPO.COM(サンスポ・コム) 【朝ドラのころ】1997年「あぐり」田中美里(2)野村萬斎の姿勢に感銘「ちゃんと女優さんになりたいと思えた」