「石原軍団」解散へ 規模を縮小、著作権管理などに専念

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「石原軍団」解散へ 規模を縮小、著作権管理などに専念
石原裕次郎さんの二十三回忌法要について発表する(左から)舘ひろしさん、渡哲也さん、まき子夫人、神田正輝さん=2009年5月、東京・国立競技場【拡大】

 俳優の故石原裕次郎さんが1963年に設立し、渡哲也や舘ひろしらが所属する石原プロモーションが、来年1月16日に同社の看板を下ろすことを17日、明らかにした。所属俳優のマネジメント業務などを取りやめて規模を縮小し、著作権管理などに専念する。半世紀以上の歴史に終止符を打ち「石原軍団」は解散となる。 報道機関宛ての文書の中で、87年7月17日に死去した裕次郎の妻で同社会長の石原まき子さんは「俺が死んだら即会社をたたみなさい」が遺言だったとしている。 渡や舘、神田正輝、徳重聡らは今後、独立あるいは他の芸能事務所へ移籍の方向で調整するという。 石原プロは日活所属のスターだった裕次郎さんが設立し、映画「黒部の太陽」「栄光への5000キロ」などを製作。ドラマも「西部警察」「大都会」がヒットシリーズとなった。 裕次郎さんが死去後も、石原プロは北海道小樽市で石原裕次郎記念館(91~2017年)を運営。所属俳優らは石原軍団として親しまれ、阪神大震災や東日本大震災の被災地で炊き出し支援を行ったことでも知られる。 来年1月以降は石原音楽出版社と一般社団法人ISHIHARAに業務を移管し、著作権や肖像権の管理、裕次郎さんの遺品の保管などを行う。 文書は以下の通り。石原プロモーション文書 謹啓 初夏の候 貴社におかれましては益々ご清栄のこととお慶び申し上げます 平素は格別のご高配を賜り 厚く御礼申し上げます 今般会社に於いて協議を重ねてまいりました事をお知らせいたします 二〇二一年一月十六日(一九六三年一月十六日石原裕次郎起業)を持ちまして 株式会社石原プロモーションの商号を故石原裕次郎氏仏前に 返還することに全員一致で決定致しました 芸能部業務に関しましては 俳優の所属契約をなくして今後に於いて 双方で話し合い誠心誠意をもって考えてまいります 引き続き力強いご支援を賜りますよう衷心よりお願い申し上げます 今後は 後述の法人へ業務を移管する予定です 版権管理業務等に関しましては 以下の法人で行う予定です 一・株式会社石原音楽出版社 音楽 映像遺品 肖像権等の管理 展示業務等 二・一般社団法人ISHIHARA(二〇二〇年起業予定) 遺品等の保管維持管理等 なお 当面は弊社にて従前の業務を継続いたします 五十数年間に渡り 弊社を支えてくださいました皆様方に心から感謝申し上げます 本当にありがとうございました石原まき子代表取締役会長 末筆ながら謹んで申し上げます この様な結論に至りましたその訳を 私石原まき子よりご説明させていただきます 昭和六十二年七月十七日石原裕次郎が亡くなる際に 『俺が死んだら即会社をたたみなさい』これが遺言でした しかし 俳優さん スタッフの皆さんがいつも生き生きとされていて会社に対する愛情の強さがひしひしと感じられ この人達ならば会社を お任せするべきと思い 遺言を言い出す事が出来なくなっておりました その結果として皆様方ご存じのとおり亡き後三十数年間無事に会社を運営して頂いた次第です しかし私も高齢と体力の低下により実務が難しくなる事が多くなって参りました そこで渡さん 舘さん 神田さん 役員 スタッフの皆さんに相談いたしました 皆さんは 『裕次郎さんらしく惜しまれるうちに株式会社石原プロモーションの商号を返しても 裕次郎さんは承知してくれるのではないですか』と賛同を頂きましたここで遺言を実行いたしました この様な重大な事柄を突然記者会見も無しに発表致しますことをお許しくださいませ 俳優さん達の今後に関する詳細は 当方にてしっかりと責任をもって対応してまいる所存でございますので 何卒暖かくお見守り頂ければ幸いです 五十数年間に渡り皆様方には株式会社石原プロモーションを陰日向なく支えて頂き 心より感謝申し上げます 略儀失礼ながら書面書中をもちましてお知らせ申し上げます 長さに渡り本当に有難うございました かしこ 令和二年夏 株式会社石原プロモーション 代表取締役会長 石原まき子

[紹介元] 「芸能社会」の最新ニュース – SANSPO.COM(サンスポ・コム) 「石原軍団」解散へ 規模を縮小、著作権管理などに専念