【朝ドラのころ】1992年「ひらり」石田ひかり(3)倒れなきゃヒロインじゃない!?現場と診療所行ったり来たり

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【朝ドラのころ】1992年「ひらり」石田ひかり(3)倒れなきゃヒロインじゃない!?現場と診療所行ったり来たり
鉢巻き、印ばんてん姿で祭りロケに参加した石田。初めてみこしを担ぎ大感激=1992年9月【拡大】

 朝ドラの撮影スケジュールはハードでした。常に5冊ぐらい台本を持ち歩いていましたね。あの頃は月、火曜がリハーサル、リハ終わりで広告の撮影。水、木、金がスタジオ収録で、土曜はロケ、日曜はイベント。ヒロインは毎週末イベントに呼ばれますので、休みはゼロでした。 お祭りのロケは圧倒されました。秋田の竿灯祭りは本当のお祭りの中に混ぜていただきましたし、両国で撮影した祭りロケではみこしを初めて担ぎました。花沢徳衛さんが音頭を取っていらして格好よかったです。 念願の朝ドラでしたので、撮影が大変だと思ったことはありません。つらいことは睡眠不足ぐらい。若かったのでせりふが覚えられないこともなく、リハでほぼ覚えました。そこで頭に入れないと、当日台本を見ている暇はないですから。次から次へと撮影するたびに衣装替えで、控室に戻ったことがないぐらい。ご飯を食べたらメークさんが起こしてくれるまで、長いすで寝ていました。 それでも、一度だけ倒れたことがありました。12月27日まで年内最後の撮影をこなし、28日から紅組司会に選ばれた紅白歌合戦のリハがスタートして、本番が終わった元日の未明に家に帰り、2日からCMの撮影でカリブ海にあるバハマに行ったんです。そこでイルカと一緒に泳ぐ段取りでしたが、ハリケーンが通過した後で天気は悪いし、水は冷たいしで、全然撮影ができなかったんです。 最後は強引に冷たい海の中に入ったんですが、それで体調を崩し、帰国後に起き上がれなくなってしまったんです。はうようにしてスタジオに行きましたが、撮影にならず、診療所で点滴を受けては撮影しての繰り返し。でも、それが朝ドラヒロインの“登竜門”みたいな感じでしたね。倒れなきゃヒロインじゃない!みたいな時代です。 私はよく覚えていないのですが、その頃はカットが掛かるたびにバタンと倒れていたそうで、「大変だ!」ってなって担架代わりに畳一畳に乗せられて診療所に運ばれ、意識が戻るとまた現場に戻されるという…。当時、その様子を見ていた記者の方は「なんてむごい現場なんだ…」といまだに言っていますよ。(26日付に続く)★2年連続紅白で司会 「ひらり」のヒットを受け、石田は1992年紅白の紅組司会に起用された。朝ドラ主題歌「晴れたらいいね」を歌うDREAMS COME TRUEを紹介するなど国民的番組を盛り上げ、「ステージ袖で全曲聴かせていただきましたが、やっぱり生の歌は本当に素晴らしかったです」と笑顔。2年連続で紅組司会を務めた93年は、藤井フミヤが石田の主演ドラマ「あすなろ白書」の主題歌「TRUE LOVE」を披露し、「私がフミヤさんに花束を渡したんです」と懐かしそうに振り返った。

[紹介元] 「芸能社会」の最新ニュース – SANSPO.COM(サンスポ・コム) 【朝ドラのころ】1992年「ひらり」石田ひかり(3)倒れなきゃヒロインじゃない!?現場と診療所行ったり来たり