神田正輝、移籍せず個人で活動 石原軍団解散の日まで在籍誓う

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神田正輝、移籍せず個人で活動 石原軍団解散の日まで在籍誓う
石原軍団解散後、個人で活動することを決めた神田【拡大】

 来年1月16日に業務縮小のため社名変更し、同3月末に俳優マネジメントを終了する石原プロモーション所属の俳優、神田正輝(69)が独立することが23日、分かった。関係者によると、移籍せず、個人で活動していく。創業者の石原裕次郎さんに声をかけられ、1973年に芸能界入りした神田は「石原プロで始まったのだから、石原プロで終わる」と周囲に語っており、47年世話になった石原軍団が解散する来春までとりでを守る。 裕次郎さんと同社相談役の俳優、渡哲也(78)と同じ12月生まれの神田が、敬愛する先輩への恩義を貫く“決断”を下した。 複数の関係者の話を総合すると、17日に発表された石原プロの業務縮小について話し合いが重ねられるたび、神田は自身について「石原プロで始まったのだから、石原プロで終わる」と何度も発言。「石原プロしか知らないし、今になってよそのプロダクションにいくのも…」などと47年在籍した同社への愛着を吐露し、個人で活動する意志を固めた。退社日は未定ながら、俳優マネジメント終了日まで在籍する予定。裕次郎さんの妻で高齢となった同社会長の石原まき子さん(86)の体調を常に気遣ってきただけに、石原軍団の解散後も“寄り添う”スタンスは変わらない。 昭和の名女優、旭輝子さんを母に持つ神田は、23歳のときに偶然、会った裕次郎さんに「冷やかしでドラマに出てみないか?」と声をかけられたことが縁で同社に入社。76年の日本テレビ系「大都会-闘いの日々-」でデビューし、「太陽にほえろ!」のドック役で大ブレークし、舘ひろし(70)とともに軍団を代表するスターとなった。 裕次郎さんを慕い、公私ともに行動することが多かった。晩年のボスが解離性大動脈瘤(りゅう)手術後、ハワイで静養していたときも訪ね、現地では運転手をしていた。穏やかで優しい神田は以前の取材で「怒っていいことは何もないからと(裕次郎さんに)じかに教わった」と述懐。裕次郎さんを思う気持ちは人一倍強く、石原プロ以外に“行く場所”は考えられないようだ。 今月21日、石原軍団解散発表後、初めて公の場に姿を見せた舘は「神田は前々から『山に帰りたい』と言っていた。まき子夫人の体力をすごくすごく心配していた」と盟友の心境を代弁。神田はこれまでと変わらず、俳優業と司会に邁進し、プロ級の腕前を持つスキーを満喫する“山の生活”を楽しむようだ。 25日に司会を務めるテレビ朝日系「朝だ!生です旅サラダ」(土曜前8・0)に出演。発言に注目が集まる。
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[紹介元] 「芸能社会」の最新ニュース – SANSPO.COM(サンスポ・コム) 神田正輝、移籍せず個人で活動 石原軍団解散の日まで在籍誓う