【朝ドラのころ】1975年「おはようさん」秋野暢子(1)実力派の原点は演劇部

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【朝ドラのころ】1975年「おはようさん」秋野暢子(1)実力派の原点は演劇部
「おはようさん」の3人娘を演じた秋野(前列左)、中田喜子(後列)、三田和代=1975年撮影【拡大】

 NHK連続テレビ小説の歴代ヒロインに迫る大型連載の8月は、1975年度後期の「おはようさん」に主演した秋野暢子(63)が登場する。高校時代に出演した74年の同局ドラマ「おおさか・三月・三年」で好演したウエートレス役をきっかけに夢のヒロインをゲット。大阪を舞台に異母姉らと共同生活を送るOLを爽やかに演じた。98年の「やんちゃくれ」、2016年の「とと姉ちゃん」と2度朝ドラに“里帰り”した実力派が秘話を語り尽くす。 中学からエスカレーターで進学した大阪の四天王寺学園高で演劇部に入っていました。予選を勝ち抜くと全国大会に出られるんですが、大会の審査員を務めていたのが劇団の主宰者やテレビ局のプロデューサーの方々でした。 15歳後半の頃、私の舞台をご覧になった方に誘われ、下條正巳さん主演のNHKラジオドラマに看護婦役で出演したのがこの仕事を始めるきっかけ。朝日放送のドラマ「部長刑事」や大御所の方との2人芝居などで経験を積みました。 「おはようさん」が放送される前年の74年、NHK銀河テレビ小説「おおさか・三月・三年」に出演しました。笑福亭仁鶴さんがマスターを演じた喫茶店のウエートレス役をもらい、店先で水をまくシーンの撮影で、橋幸夫さんの「伊太郎旅唄~潮来笠」をアドリブで歌ったんです。それを見たディレクターが「おはようさん」を担当される方で「コイツいける」って使ってくれて…。今考えると、それがヒロイン・鮎子の最終オーディションでした。 17歳の秋にディレクターとプロデューサーが家まであいさつに来てくれて、「来年の10月から放送するドラマの主役をやらないか? 『おはようさん』ってタイトルだよ」と。うちは裕福じゃなかったから、卒業して就職しようか、大学で法律を勉強しようか、と悩んでいたときで。当時の朝ドラは新人女優の登竜門だったので、渡りに船だと思いましたし、両親も反対しませんでした。 撮影開始までの半年間で準備したことはないですね。私がいた演劇部は本当に厳しくて、標準語などいろんなことをたたき込まれましたから。 合宿では、畳んだ布団が曲がっているとやり直し。衣装やセットも自分たちで作りました。部活で教室を使うときは、机といすを半分に寄せ、裸足で稽古をするため、みんなで床を雑巾がけして…。だから、「教室を貸してください」とお願いに行くと、先生が「教室がきれいになる」と喜んでいましたね。
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[紹介元] 「芸能社会」の最新ニュース – SANSPO.COM(サンスポ・コム) 【朝ドラのころ】1975年「おはようさん」秋野暢子(1)実力派の原点は演劇部