女流漫才師の草分け 97歳現役最年長芸人の内海桂子さん、多臓器不全で死去

FavoriteLoadingこの記事をお気に入りに登録しませんか!
女流漫才師の草分け 97歳現役最年長芸人の内海桂子さん、多臓器不全で死去
芸歴80年を祝う会で、愛用の三味線を手にチャーミングな笑顔を見せる桂子さん=2018年11月撮影【拡大】

 漫才界の大御所で、漫才コンビ、内海桂子・好江で活躍した内海桂子(うつみ・けいこ、本名・安藤良子=あんどう・よしこ)さんが22日午後11時39分、多臓器不全のため、東京都内の病院で死去した。28日に所属事務所が発表した。97歳。東京都出身。葬儀・告別式は27日に近親者のみで済ませた。16歳で初舞台を踏むなど女流漫才の草分けで、漫才協会名誉会長を務めるなど後進の育成にも尽力し、現役最年長芸人として生涯現役を貫いた。 80年以上の長きにわたって舞台に立ち続け、女流漫才の礎を築いた内海さんが静かに逝った。 所属事務所などによると、22日夜、入院先の病院で容体が急変し、そのまま帰らぬ人に。24歳下の夫でマネジャー、成田常也さん(73)は別の病院に入院しており、連絡は入ったが、看取ることはできなかった。 27日に密葬が東京・町屋斎場で営まれ、成田さんら近親者のみが参列。養子縁組をしていた孫にあたる長男の息子が喪主を務めた。芸人では成田さんと親交がある事務所の後輩、中津川弦(40)が参列した。 内海さんは1月末から心臓の機能不全で入院。2月には誤嚥(ごえん)性肺炎も発症し、点滴治療を受けていた。一方、成田さんも4月に茨城県のゴルフ場で倒れ、埼玉県内の病院に入院していた。関係者によると、3月末から新型コロナウイルス感染拡大防止で見舞いが制限されていたため、長男の息子夫婦が世話をしていた。 千葉・銚子で生まれ、東京・浅草で育った内海さん。97年に他界した内海好江さん(享年61)とは50年に漫才コンビ、内海桂子・好江を結成し、三味線を肩に掛け、時事ネタを取り入れた漫才で人気を集めた。 寄席や舞台、テレビに引っ張りだこで、好江さん亡きあとも漫談やテレビのコメンテーターなどで活躍。江戸っ子らしい歯切れのいい語り口、芸風を貫いた。 一方、98年に漫才協団の会長に就き、2005年に改称した漫才協会の初代会長として、弟子のお笑いコンビ、ナイツら若手育成にも尽力。映画監督の故今村昌平氏との縁で、横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)の専任講師も務めていた。同校に在籍し、俳優志望だったお笑いコンビ、ウッチャンナンチャンに漫才転向を勧めたことでも知られる。 近年はツイッターでの率直な発言が若者から支持され、フォロワー数は49万を誇った。晩年も舞台にこだわり、浅草・東洋館で満員の客を前に「100まで生きてやる」としゃがれ声で粋に歌うなど、今年1月まで出演していた。 私生活では99年に成田さんと77歳で結婚。「棺担ぎと墓守を雇った」と照れたが戸籍上は初婚だった。お別れの会は、コロナ禍の現状をかんがみ検討中。大正、昭和、平成、令和と4つの時代を生き抜き、芸事にささげた人生だった。 ◆「気さくな下町のおばあちゃん」 訃報を受け、東京・台東区内にある内海さんの自宅前には約10人の報道陣が集結した。午前中にはナイツの塙宣之が喪服姿で訪れるも、報道陣の声掛けには応じず。近隣住民によると、内海さんは自宅が大好きでコロナ禍前の2月までは病院と行き来する生活をしており、成田さんが手を引きながら歩く姿がよく見られていた。故人は近所付き合いを大切にしていたといい、親交の深かった住民は「桂子師匠は気さくな下町のおばあちゃん。息子の結婚式にも来てくれて、わざわざ舞台装置を作って漫才をしてくれました」といたんだ。内海 桂子(うつみ・けいこ、本名・安藤良子=あんどう・よしこ)1922(大正11)年9月12日生まれ。東京都出身。38年、漫才師として初舞台。戦時中は全国各地、満州などへ慰問に訪れ、50年に内海好江さんとコンビ、内海桂子・好江を結成。97年に好江さんが亡くなり1人で高座に。98年から漫才協団(現・協会)の第5代会長を務め、2007年から名誉会長に。1989年に紫綬褒章、95年に勲四等宝冠章を受章。著書に「桂子八十歳の腹づつみ」など。

[紹介元] 「芸能社会」の最新ニュース – SANSPO.COM(サンスポ・コム) 女流漫才師の草分け 97歳現役最年長芸人の内海桂子さん、多臓器不全で死去