【評伝】内海桂子さん 極貧の幼少期、戦争、お笑いの頂点…波瀾万丈の人生

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【評伝】内海桂子さん 極貧の幼少期、戦争、お笑いの頂点…波瀾万丈の人生
芸歴80年を祝う会で、愛用の三味線を手にチャーミングな笑顔を見せる桂子さん=2018年11月撮影【拡大】

 漫才界の大御所で、漫才コンビ、内海桂子・好江で活躍した内海桂子(うつみ・けいこ、本名・安藤良子=あんどう・よしこ)さんが22日午後11時39分、多臓器不全のため、東京都内の病院で死去した。28日に所属事務所が発表した。 97歳で波瀾(はらん)万丈な人生を全うした内海さん。幼少期は極貧で、9歳で神田錦町のそば店へ奉公に出された。三味線を習う一方、16歳で漫才を始め、19歳のときに妻子のある男性との間に長男の勝利さんを出産。その後、満州に慰問に出かける林家染芳とコンビを組み、1946年に染芳との間に長女、道子さんをもうけた。 戦後は、いとこの作った焼き団子やのり巻きを吉原で売って大もうけした。その後、浅草のキャバレーにホステスとして雇われ、三味線や踊りで“浅草のお桂ちゃん”として人気となった。 10人以上の相方と組んだ後、50年に14歳下の好江さんとコンビを結成。厳しく芸を仕込み、特訓するうちに頭角を現し、58年のNHK漫才コンクールで優勝。61年に芸術祭奨励賞、82年に芸術選奨文部大臣賞を受賞した。歯切れよいしゃべりで人気を集め、97年に好江さんが胃がんで死去するまで48年間続いた。 私生活では、87年に元日航社員の成田常也さんと出会い、同居10年目の99年に島根・出雲大社で式をあげ、結婚。24歳下の夫の猛烈なアプローチに寄り切られた。一方で2007年に階段で転倒し、手首を骨折。同年に乳がんの手術も受けた。 10年8月から87歳の“手習い”でツイッターを開始。身の回りの出来事などを夫の成田さんがまとめて配信。含蓄のある短文にファンが多かった。成田さんが入院したため、コロナ禍を嘆いた4月14日の投稿が最後のつぶやきとなった。

[紹介元] 「芸能社会」の最新ニュース – SANSPO.COM(サンスポ・コム) 【評伝】内海桂子さん 極貧の幼少期、戦争、お笑いの頂点…波瀾万丈の人生