【ジャナドル日記 Azully】ブルマはエッチなものじゃなくて〇〇だ

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【ジャナドル日記 Azully】ブルマはエッチなものじゃなくて〇〇だ
 “ブルマアイドル”ならぬ“ジャナドル(ジャーナリストアイドル)”として、ブルマの体操服姿で活動を続けて早くも半年が経ちました。そこで今回は、改めてブルマの歴史を振り返ってみましょう(ソースはWikipediaで失礼いたします)。

 ■どうしてブルマはエッチなイメージになったの?
 今やブルマは、コスプレファッションや趣味嗜好としてのアイテム。ところが、かつてブルマは実際の学校教育に導入されていました。1980年代後半から「下着同然」「パンツがはみ出る」と女子中高生による反対運動が起き、1990年代前半に教育現場から消えたとのことです。
 また、1990年代にはブルマが絶滅危惧される一方で、成人向けのグラビア誌の衣装としてのポジションを確立。着用済みブルマに性的価値が付加されて斡旋業者が出現し、“ブルセラ”が社会現象に。“ブルセラ規制”の法整備とともに業者は摘発されて衰退するものの、複数の社会学者がブルマについて考察するまでのブームになったそうです。ここまでで、ブルマがエッチな存在とされた経緯がわかります。
 ■ブルマは女性の自由の象徴だった
 ブルマの歴史はさかのぼると19世紀中頃まで…。原点は意外にも女性解放運動のひとつで、フェミニストによって生まれたものでした。コルセットで締め付ける下着に反発したアメリカの女性解放運動家エリザベス・スミス・ミラー氏が、自由度が高くてゆとりのある下着として考案したのがきっかけ。ブルマ(ブルマー)の由来は、ブルマを支持して啓蒙した女性解放運動家アメリア・ジェンクス・ブルーマー氏との説です。
 女性の拘束型衣服からの転換という革新的なもので、その後はスポーツウエアとして世界的に広まっていったよう。ちなみに当時のブルマは、ニッカボッカーズのように太ももが緩くて膝くらいの丈でした。
 1903年に日本に持ち込まれ、1900年代からはスポーツの利便性とともに丈が短くなって“ちょうちんブルマ”と化し、1964年の東京オリンピックを機に、よりスポーツ現場の需要にそって体にフィットさせた“密着型ブルマ”が普及していきました。

 ■フェミニズムから始まってフェミニズムで終わる
 なんとブルマは、アメリカ人女性によって考案されて日本人女性によって国内に持ち込まれ、日本のスポーツや教育現場にて採用されるも、女子中高生の声によって廃止されるのです。本末転倒というより、むしろ時代を超えて大役を果たしたブルマ。
 そして今では、あえてのブルマ姿が、ジャナドルのYouTubeチャンネルにて再生回数とチャンネル登録者数を押し上げてくれる好機にもつながった?
 まさしく感謝のブルマ……。今後も、私は自らの意思で、ちょっとエッチなだけではない“女性の自由な権利”が詰まったブルマを重宝していきたいと思います。
Azully(アズリー)
「社長グラドルはカラダが資本」がキャッチコピー。ITサービス会社など2社を経営しながら、2016年秋に水着モデルデビュー。TVやイベント等で「社長グラドル」と紹介され、社長業とグラビアモデル業の両軸で活動中。163センチ、B87W57H88。血液型B。趣味は水泳、ネットサーフィン、ボディーメイキング、ゴルフ、料理。特技、ウェブ解析。サンスポGoGoクイーンファイナリスト。

[紹介元] 「芸能社会」の最新ニュース – SANSPO.COM(サンスポ・コム) 【ジャナドル日記 Azully】ブルマはエッチなものじゃなくて〇〇だ