【写真】2016年…結婚式での“2ショット”を公開した麒麟・川島
■コンビの“じゃないほう”だった過去 お笑い力に定評あるがゆえの苦悩
1999年にコンビを結成した麒麟。2001年には第1回『M‐1グランプリ』(テレビ朝日系)で決勝進出を果たし、ブレイクは早かった。『M‐1』にはトータル8回出場、5回決勝進出(最高3位)、世間でも「麒麟です」の渋い声のボケの人がいる実力派コンビと印象づけた。
2007年、どちらかといえば地味めの相方・田村裕の自叙伝『ホームレス中学生』(ワニブックス)が200万部を超える大ベストセラーに。すると、映画化・ドラマ化・漫画化が続々と決まり社会現象にまでなる。そんな状況が続き、田村×川島間にコンビ内格差が生まれ、川島はいつのまにか「じゃないほう芸人」扱いされ、「(田村の)付き添いでTV番組に呼ばれてもピンマイクも渡されない」(本人談)事態となったのである。
「弾(=ネタ)は持っているけど振られない」状態が続いた川島は、「じゃないほう芸人」から脱却すべく、ピンでのネタライブに挑戦。2010年、『R‐1ぐらんぷり』(テレビ朝日系)に出場して4位入賞すると、芸人としての再び実力が認められはじめ、『アメトーーク!』(同)などに出演。以降、2016年に『IPPONグランプリ』(フジテレビ系)で優勝するなど、ピン芸人としても実力を発揮し続けている。