誤嚥性肺炎で7日に死去した国民的作曲家、筒美京平さん(享年80)の訃報が流れ、代表曲を歌唱したアーティストたちも悲しみに暮れた。デビュー曲「スニーカーぶる~す」などコンビで大ヒットを飛ばした歌手、近藤真彦(56)は「僕が歌い続けていられるのは、紛れもなく京平先生のおかげです」と感謝。ジュディ・オング(70)、堺正章(74)、郷ひろみ(64)らも故人の功績をたたえた。
自分たちを世に送り出してくれたヒットメーカーの訃報にゆかりの歌手たちも寂しさを隠しきれなかった。
1980年のデビュー曲「スニーカーぶる~す」や81年のヒット曲「ギンギラギンにさりげなく」など自身の代表曲の数々を作曲してもらったマッチは「京平先生のご自宅で、先生のピアノの音に合わせて発声練習をしたのが僕の歌手の始まりでした」と述懐。「先生が残してくださった名曲は、これからも歌い続けていかれるでしょう」と感謝した。
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また、筒美作品の歴代売り上げ1位を記録し、「第21回日本レコード大賞」を受賞した79年の「魅せられて」を歌ったジュディ・オングは「ショックでまだ信じられません」と事実を受け入れられない様子。「先生は歌手としての私を目覚めさせてくれた恩人です。そして、『魅せられて』は私に大きなパワーを与えてくれました」と自身の原点をアピールした。
タレント、堺正章は、70年に所属していた「ザ・スパイダース」が解散後、翌71年に発売した堺のソロデビュー曲「さらば恋人」でタッグを組んだ。故人との思い出を振り返り、「私のザ・スパイダースからの解散独立に一番背中を押してくださったのが、筒美さんでした」としみじみ。同曲のヒットで再スタートを切れたといい、「歌謡曲とポップスの中間的メロディーを私は楽しみながら歌う事が出来ました。筒美京平ワールドは永遠です」と絶賛した。
また、72年のデビュー曲「男の子女の子」を提供された歌手、郷ひろみは「郷ひろみを創ってくれた人が、また1人この世を去った。とても、残念なことです。京平先生には、心から感謝しています」と大きな穴を実感している様子だった。