タレント、間寛平(71)が10日に吉本興業に所属してからちょうど50年を迎えた。
サンケイスポーツでも10日付紙面でインタビュー記事を掲載したが、あふれ出たエピソードを紹介しようと思う。
お笑いを志したきっかけに同級生のタケダ君の存在は欠かせない。19歳だった寛平は車をぶつけられて入院し、新喜劇のラジオを聞いていた。
「こんなんいっぺんやってみたいな~」とお見舞いに訪れたタケダ君にポツリと言うと、ディスコの照明係として働いていたタケダ君から、そこの支配人を紹介してもらい、その支配人から当時梅田にあったトップホットシアターという劇場を紹介してもらったという。
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ところが「お前ら勉強せなアカンから」と飛ばされた先はストリップ劇場。1年ほど幕あいで芝居をしたが、寛平は女性や子供に見てもらいたかった。するとここでもタケダ君の登場。アメリカ村の喫茶店でも働いていており、そこのママが吉本の社員を知っているからと紹介してもらい、吉本に入った。それから50年がたった。
人生の恩人となったタケダ君だが、20代前半に海でおぼれて亡くなったという。「僕が落ち込んでつらい思いをしていたときにタケダ君がずっとギターを弾いてくれていた」ということもあり、タケダ君の両親から形見にギターをもらった。
それをずっと持っていたというが、1995年に起きた阪神大震災で寛平の自宅は全壊。だが、「地震でグシャグシャになったときにそのギターが出てきた。そこから慎太郎がそのギターを弾き出したと思うねん」。息子の間慎太郎(39)は現在も歌手として活動中。タケダ君の形見のギターが息子に受け継がれる何とも不思議なめぐり合わせが起こった。
人生の目標を「100歳でフルマラソン完走」と豪語する寛平。最近ではインスタグラムを開設し、自身のキャラクター「引きずり女」の動画を投稿している。白塗りで超ロングヘアにやかんなどをくくりつけて引きずる不気味な姿だが、これで日本全国を回ることが目標。宝塚や大阪・日本橋、高知・五台山、愛媛・道後温泉などで撮影したといい、「こんな落ち込んでいる世の中だから、こんなんでも見て、みんな笑ってほしいなと思って。全国行くよ。こんなアホなことしてるわ~と言ってもらえたらいい」と笑顔で話す。50周年を迎えた寛平のコメディアン魂はまだまだ健在だ。