【ヒューマン】山内惠介「もっと努力」最愛の母と森進一の言葉に奮起

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【ヒューマン】山内惠介「もっと努力」最愛の母と森進一の言葉に奮起
最新曲「残照」をほうふつさせる夕暮れの大都会を背にポーズを取る山内。和風顔のイケメンに似合う景色だ =東京・渋谷【拡大】

 デビュー20周年を迎えた演歌界の貴公子、山内惠介(37)が今月6日からツアーをスタートさせ、11月6日の東京・日本武道館でファイナル公演を迎える。8カ月ぶりにステージに立ち、歌う喜びに満ちあふれている。3月に新曲「残照」で自身最高位の3位を記録するも、コロナ禍によって観客の前で歌う場所を奪われ、「自分は、いったい何者なんだろう」と自問自答する日々。悩める山内を救ったのが、最愛の母と大御所歌手、森進一(72)の金言だった。(ペン・山下伸基、カメラ・塩浦孝明)
 東京・渋谷のビクターエンタテインメント。大都会が一望できるガラス張りの一室で、180センチ近い長身の姿が夕陽に映える。♪いのちが涸れても心を灯して…。山内の心境は最新曲「残照」の歌詞そのものだった。

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 「ツアーが歌手の基本だと頑張ってきたのに歌う場所がなくなった。自分って何なんだろうと考えたこともあった」
 コロナ禍が世の中を襲い、20周年の節目に仕事がほとんどなくなった。YouTubeを始めて配信ライブや得意な料理の動画をアップするなどファンから好評を得たが、生のステージに勝るものはなかった。
 「歌手を辞めて、料理が好きだからコックになろうとか頭をよぎりました。そんな甘い世界じゃないし、コックさんに失礼な話ですよね」
 コロナ禍は、NHK紅白歌合戦に5年連続で出場する演歌界のホープでさえも不安な気持ちにさせていた。そんな山内を救ったのは、最愛の母の言葉だった。
 「電話で『YouTubeやバラエティー番組もいいけど、歌っている惠介が一番いいよね』って言われて。その瞬間『今までやってきたことは間違っていないんだ』とハッとしました」
 30代の男性演歌歌手でトップを快走する山内だが、ここまでの道のりは平坦ではなかった。
 2001年に「霧情」でデビュー。茶髪のイケメン高校生演歌歌手と話題になったが、その後はヒット曲に恵まれず。CD店でキャンペーン中、女性客から「あなた、まだ歌っていたのね」と言われたことも。
 「子供心にショックでした。でも、その言葉をお守り代わりにして頑張るしかないと思いました。お客さまはシビア。自分の配ったチラシが捨てられ、それを自分で拾う。スーツケースをゴロゴロひいて電車で移動し、アイロンかけも全て自分でやっていました。そこが原点。いきなりポーンと売れていたら、今の自分はなかった」
 07年の事務所移籍が転機となり、売れっ子に。ただ、どんなに疲れていてもサインは直筆がモットーで、「書いているうちに心が整う」と、1日1000枚近く書いたこともあった。
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[紹介元] 「芸能社会」の最新ニュース – SANSPO.COM(サンスポ・コム) 【ヒューマン】山内惠介「もっと努力」最愛の母と森進一の言葉に奮起