【朝ドラのころ】「本日も晴天なり」原日出子(1)反骨精神生んだ劇団四季“落第” 道拓けて…トントン拍子びっくり“合格”

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【朝ドラのころ】「本日も晴天なり」原日出子(1)反骨精神生んだ劇団四季“落第” 道拓けて…トントン拍子びっくり“合格”
NHKドラマ、連続テレビ小説「本日は晴天なり」でヒロインを演じる原日出子=昭和56年6月17日撮影【拡大】

 NHK連続テレビ小説の歴代ヒロインに迫る大型連載の11月は、1981年度後期の「本日も晴天なり」に主演した原日出子(60)が登場。「これ」と決めたことは全力でやり抜く、男子顔負けの“元気印”のヒロインが、戦中戦後の東京で進むべき道を自らの力で切り開く物語。演技の世界に進むきっかけや女優人生を左右した朝ドラの思い出を実力派が語り尽くす。
 子供の頃から歌ったり踊ったりするのは好きでしたが、演技には特に関心もなく、高校生になってもサッカー部のマネジャーやギター部などいろいろと掛け持ちをしていました。

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 演技に興味を持ち始めたのは高校1年の文化祭。演劇部の人が足りず、部長に「手伝ってくれないか」と頼まれて照明係のお手伝いをして「楽しそうだな」と思ったのがきっかけでした。
 そこから演劇部にも顔を出すようになり、親に内緒で演技コースのある専門学校を受験してそちらに進みました。ただ、周りは「なんとなく」と入学してきた人が多く、プロを目指す自分には物足りない環境で…。先生にわがままをいって、劇団四季研究所の試験を2年生に混じって受けさせてもらったら、1年生の私だけ合格して、その時点で専門学校は中退することになりました。
 でも、プロを目指すのは甘くなかったですね。ダンスも歌も好きで「劇団四季がいいな」という憧れがあったのですが、実際は四季の舞台もほとんど見たことがなかったんです。どういう場所かも分からずに入りましたが、当時は今よりも組織化されていて、「右といったら右」という風潮が強く例外は許されなかった。これと決めたらすぐに行動に移す猪突猛進な私は要注意生徒として見られていたようです。
 研究所では頻繁にテストがあるのですが、私は歌のテストの点が1点足りなかっただけで落第。歌を失敗した自覚がなかったので、「納得がいかない」と言いにいったら、「君は四季には向かない。辞めてほかで頑張りなさい」と先生に言われました。
 当時はショックでしたけど、のちのち反骨精神になりましたね。研究所の近くで喫茶店をやっていた方のご主人がたまたま大映の映画監督で、ご主人が自主制作の監督を頼まれ、ヒロインを探していると言われて。それで撮ったのが1979年の「夕焼けのマイウェイ」という映画で、フィルムデビューすることになりました。
 その後、80年のTBS系連続ドラマ「元気です!」のオーディションを受けたらトントン拍子に最終選考まで進んだんです。
 最終審査で宮崎美子ちゃんがヒロインに決まりましたが、新人訓練を一緒に受けて後半3カ月レギュラー出演ということを約束していただいたのが、連ドラでのキャリアの始まりとなりました。
 「本日も晴天なり」のヒロインに決まった日のことは、今でも鮮明に覚えています。ディレクターとデスクから「これからご自宅に伺います」と連絡があり、急いで母の職場に電話し、「帰って家を掃除して!」とお願いしました(笑)。
 お二人がいらして、両親に「朝ドラのキャストに決まりました。これからお嬢さんを預からせていただきます」と伝えられ、家族は「そうなんだ。よかったね」という雰囲気。でも、私は主役に受かったと思っていなかったので、お話を一通り伺った後に「ところで何の役ですか?」と聞いたら、「ヒロインに決まったんですよ」と言われ、家族みんなでびっくりしましたね。
 今と違って演技の経験がない人がヒロインに起用される時代でしたので、「ちゃんと責任もってお預かりします」というごあいさつだったようです。その日、母にお赤飯を炊いてもらい、みんなで食べたのはいい思い出です。(8日付に続く)
★「本日も晴天なり」
 昭和元年、東京・人形町に生まれたヒロインの桂木元子が戦時下でNHKアナウンサーとなり、戦後にルポライター、作家へと転身し、女性の自立を考える物語。元NHKアナの作家、近藤富枝さんの半生をモデルに、戦後の東京で自らの道を切り開く姿を描き、主婦業のかたわら、仕事にも生きがいを求める昭和の女性の奮闘記として人気を博した。タイトルは、当時のマイクテストで使った言葉から。平均視聴率は36・6%、最高視聴率は43.3%(ともに関東地区、ビデオリサーチ調べ)。共演は、津川雅彦さん、鹿賀丈史(70)ら。
原 日出子(はら・ひでこ)
 1959(昭和34)年11月10日生まれ、60歳。東京都出身。劇団四季の研究生を経て、79年「夕焼けのマイ・ウェイ」で映画初主演。81年のNHK連続テレビ小説「本日も晴天なり」でヒロインに抜てきされた。代表作は83年の大河ドラマ「徳川家康」などで、朝ドラはほかに98年度前期「天うらら」と2019年度前期「なつぞら」に出演。私生活では83年に一般男性と結婚。87年に離婚し、94年に俳優、渡辺裕之と再婚。1男2女の母である。昨年に映画「鈴木家の嘘」で高崎映画祭優秀主演女優賞を受賞した。

[紹介元] 「芸能社会」の最新ニュース – SANSPO.COM(サンスポ・コム) 【朝ドラのころ】「本日も晴天なり」原日出子(1)反骨精神生んだ劇団四季“落第” 道拓けて…トントン拍子びっくり“合格”