【ダンカンが語る水島先生】1985年の阪神優勝時に作った記念の手ぬぐいに川藤さんの着流しイラスト

FavoriteLoadingこの記事をお気に入りに登録しませんか!

オタクエンタメニュースです!
アイドルからアニメや声優、マンガ、ゲームを網羅するオタクのニュースを配信しています。
気になる話題のニュースや芸能の最新ニュースを掲載中!

今回の最新ニュースはこちらです!!

【ダンカンが語る水島先生】1985年の阪神優勝時に作った記念の手ぬぐいに川藤さんの着流しイラスト
1985年の阪神優勝時に作った記念の手ぬぐい【拡大】
その他の写真(1/3枚)

 漫画家の水島新司さん(81)が1日に引退を発表。水島作品の愛読者で親交の深い、タレントのダンカン(62)が本紙にメッセージを寄せた。
 まずはお疲れさまですね。プロ野球選手はもちろんだけど、水島先生は野球界に多大な貢献をされたと思う。最近の野球は記録ばっかりだけど、先生の漫画は記録よりも記憶に残る。人間がやるから、野球は面白い、ってことを教えてくれた。野球好きにはたまらない漫画ばかりでした。
 作品は全部持っている。どれが1番、というのは難しいけど、「野球狂の詩」の「ジンクス」(第1巻4話)とか「おれは長島だ!」(第7巻5話)が好きだったな。

googletag.cmd.push(function() { googletag.display('div-gpt-ad-Rec_Article'); });

 出会いは、もう40年ぐらい前になるかな。たけし軍団と先生の草野球チーム「ボッツ」が神宮外苑でたびたび試合をすることになってね。あの頃は、たけしさんや俳優の柴田恭兵さんらも入り乱れて、楽しかった。それから、堀越高校野球部出身の長男・新太郎がたけし軍団に入ることになって、「ダンカン、頼むよ。礼儀とか、教えてくれ」ということで、最初の1年間は一緒に住んでいた。「おぼっちゃま」というコンビでデビューするんだけど、野球部出身だから元気で、朝からジンギスカンを食べたりしていたのをよく覚えている。
 1985年に阪神が優勝したときに、自分で記念の手ぬぐいを作ったんだけど、先生が「じゃあ、絵を描いてやるよ」って、代打の切り札として活躍した川藤幸三さんが着流したイラストを描いてくれて。先生は引退されるんだから、これからはただの“絵のうまいおじさん”になるんだよね。来年は阪神が優勝するはずだから、また描いてもらおう。代金は虎屋のようかんぐらいでね!(談)

[紹介元] 「芸能社会」の最新ニュース – SANSPO.COM(サンスポ・コム) 【ダンカンが語る水島先生】1985年の阪神優勝時に作った記念の手ぬぐいに川藤さんの着流しイラスト