【私を支えた言葉】杉本昌隆八段「どんどん食べてバンバン指せ」 藤井聡太二冠に受け継がれる亡き師の教え

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【私を支えた言葉】杉本昌隆八段「どんどん食べてバンバン指せ」 藤井聡太二冠に受け継がれる亡き師の教え
9月の棋聖就位式で藤井二冠(右)に花束を渡す師匠の杉本八段【拡大】
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 新型コロナウイルスによる混乱が続く中、自分を支えている「言葉」を各界の著名人らに聞く新連載がスタート。第1回は将棋の杉本昌隆八段(52)。今夏、史上最年少でタイトルホルダーとなった高校生棋士、藤井聡太二冠(18)を育てた師匠は、苦境の中でも「楽しさ」を見つける大切さを説く。まな弟子にも受け継がれるその姿勢は、亡き師の教え「どんどん食べてバンバン指せ」から生まれたと明かした。(取材・構成、丸山汎)
 コロナ禍で日本が閉塞感に包まれていた7月、藤井七段=当時=が棋聖戦五番勝負を制して史上最年少でタイトルを獲得した快挙は、久々の明るいニュースとなった。

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 杉本八段は、関西将棋会館(大阪市)で、右手を握りしめ中継を見つめていた。「これをものにすれば、自分も、日本中も元気になるのではないかと。辛く感じることばかりでしたから…」。
 将棋界も苦しかった。4、5月は長距離移動を伴う対局が延期に。各地のイベントは中止、自身が名古屋市で主宰する将棋教室も3カ月以上、中断を余儀なくされた。
 「棋士にとって対局は命のようなもの。それが全て無くなったのは辛かった」
 暗中模索の中、オンラインで教え子を指導し、リモートでの研究会を開くなどして前を向いた。
 「いまの環境を受け入れ、そこに楽しみを見いだす。コロナ禍でなければ体験できなかったこともある。多少こじつけでもいいので、その方が頑張れる気がするんです。それが私の哲学です」
 この生き方は、11歳から10年間在籍したプロ棋士養成機関の「奨励会」時代に生まれた。きっかけは小6のとき地元の名古屋市で弟子入りした故板谷進九段の「細かいことは気にするな。どんどん食べてバンバン指せ」という口癖。そうすれば自然に結果は付いてくるという教えで、あと1回負けたら初段に降段するときなど、苦境に陥るたびに力を与えてくれた。
 師匠は1988年、くも膜下出血のため47歳の若さで急逝。プロになる姿を見せられなかった痛恨の思いは、いまも大きい。だが、「タイトルを東海に持ち帰る」という師匠の悲願は、同じ教えを継ぐまな弟子が果たした。今年9月、藤井二冠と墓前を訪れ「彼の将棋を楽しむ姿勢には、逆に刺激を受けています」と亡き師に手を合わせた。
 藤井二冠も来春は高校を卒業し、いよいよ棋士一本の生活に。「コロナの影響もあり、当面は地元に残る予定のようです」と明かす。タイトルホルダーとして、より求められるものが増えるまな弟子にかけてあげたい言葉は「師匠の受け売りですが、自分の言葉にすると『どんどん食べて、たくさん学んで』です。彼の頂点はまだ果てしない」。師匠から受け継いだ杉本八段の言葉は、藤井二冠の新章もきっと支えていく。
杉本 昌隆(すぎもと・まさたか)
1968(昭和43)年11月13日生まれ、52歳。名古屋市出身。小2で将棋を始め、小6で故板谷進九段の弟子に。90年に四段昇段。六段だった2001年に朝日杯オープン戦で準優勝。06年に七段。昨年2月に八段。同3月の順位戦でB級2組に復帰昇級。50歳での昇級は史上4番目の年長記録、50代では平成以降初の快挙だった。門下に藤井聡太二冠、室田伊緒女流二段ら。

[紹介元] 「芸能社会」の最新ニュース – SANSPO.COM(サンスポ・コム) 【私を支えた言葉】杉本昌隆八段「どんどん食べてバンバン指せ」 藤井聡太二冠に受け継がれる亡き師の教え