小松政夫さん死去、「デンセンマン」「しらけ鳥音頭」大ヒット

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小松政夫さん死去、「デンセンマン」「しらけ鳥音頭」大ヒット
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 「デンセンマンの電線音頭」「しらけ鳥音頭」の大ヒットで知られるコメディアン、小松政夫(こまつ・まさお、本名・松崎雅臣=まつざき・まさおみ)さんが7日に肝細胞がんのため死去していたことが11日、分かった。78歳だった。関係者によると、11日に家族葬を済ませた。昨年、がんが見つかり、入退院を繰り返しながら仕事を行っていた。
 小松さんは伝説のコメディアン、故植木等さんの付き人兼運転手をへてテレビ番組「シャボン玉ホリデー」でデビュー。「どーして、どーして、おせーて」「あんたはえらいっ」などのギャグや映画評論家の淀川長治さんの物まねで大人気に。“四畳半のエンターテイナー”として、昭和のお笑い界の最前線を駆け抜けた。

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 独特の口調は子供時代に起源がある。家の前が焼け跡で露天商の口上をよく聞いた。サクラがいることやヘビの薬売りが偽のほくろを取るところを見て、友達の前でまねして遊んだ。また、中学2年の演芸会ではラジオ番組の「漫才学校」をまねるなど、人を面白がらせることが大好きだったという。
 福岡の高校を卒業後、地元の民放放送劇団に所属したが、俳優を目指して上京。寿司店や魚河岸、牛乳配達、コピー機や自動車のセールスマンなどを経験。自動車販売会社の宴会では司会を務めて自ら歌い、社員を笑わせた。
 そんなおり、植木等さんの運転手募集の記事が目に留まり応募。21歳なのに英国製の背広を着ていたことが信用され600人の応募の中から選ばれた。「植木さんを1日1回必ず喜ばせる」がモットーで、「シャボン玉ホリデー」にチョイ役で出演した際のギャラもクレイジーキャッツ7人の付き人に分配。サラリーマン時代に学んだ敵を作らないスタイルがその後のコメディアン人生に役立った。この頃から吉田茂、大河内伝次郎、片岡千恵蔵、淀川長治などの物まねがうまいと評判を呼んだ。
 3年10カ月で植木さんの運転手を卒業後、渡辺プロ専属のタレントとなりすぐにブレーク。「シャボン玉」では「知らない、知らない」「ものすごーい、いじわる」などのギャグをはやらせテレビ、ラジオ、映画などに引っ張りだことなった。
 とくに1977年のテレビ朝日系「みごろ!食べごろ!笑いごろ!!」では俳優、伊東四朗と踊る「電線音頭」がバカ受け。日本中が宴会で「電線音頭」を踊るという珍現象まで起こった。翌年には同番組で第2弾となる「しらけ鳥音頭」を放ち、「みじめ、みじめ」のせりふが日本中で大流行した。「よーやる、よーやる、よーやるゼリー」のギャグなども知られている。
 その後、一人芝居や時代劇にも挑むなど舞台活動にも積極的に取り組んだ。また、“本物のお笑い”を目指す立場から現在のお笑い界に対して「いまのコメディアンがやっているのは芸ではなく宴会の余興」と苦言を呈することもあった。
 小松政夫(こまつ・まさお)本名・松崎雅臣(まつざき・まさおみ)。1942(昭和17)年1月10日、福岡市生まれ。高校卒業後、俳優を目指して上京。俳優座養成所を受けたが、入学金が払えず断念。さまざまな職業を経て64年に故・植木等さんの付き人兼運転手に。植木さんの母親に芸名を付けてもらって独立後、日本テレビ系「シャボン玉ホリデー」でデビュー。以降、「どうして どうして おせーて」「もうイヤッ!こんな生活」のギャグや「電線音頭」「しらけ鳥音頭」の大ヒットで一躍スターとなった。

[紹介元] 「芸能社会」の最新ニュース – SANSPO.COM(サンスポ・コム) 小松政夫さん死去、「デンセンマン」「しらけ鳥音頭」大ヒット