偉ぶらず、サービス精神旺盛な人だった。
昨年9月12日、舞台「めんたいぴりり 未来永劫編」の取材で作務衣に足袋姿の小松さんと会った。
故郷の博多を舞台にした物語だったこともあり、話題は多岐に及んだ。13歳のときに結核で亡くした父親のこと、借金を抱えながらも7人兄弟を育ててくれた母親のこと。22歳のときに「私のことを父親だと思えばいい」と言ってくれた植木等さんから受けた計り知れない恩を話してくれた。最後に「めんたいぴりり」の劇中で主人公の妻のせりふ「与えた恩は水に流せ、受けた恩は石に刻め」を用い、「この通りの人だった」としのんだ姿が印象的だった。
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最も熱く語ったのは博多祇園山笠のこと。毎年、1週間里帰りし、取材の2カ月前に六番山笠・中洲流に乗ってきた、と声を弾ませていた。首にかけた博多祇園の手拭いを握り、「名誉なことなんだ」とキラキラした目で喜んでいたのが忘れられない。
孫世代のカメラマンが「『電線音頭』を見せていただけますか」とお願いすると、百面相で応えてくれた小松さん。苦労した分、優しさにあふれたレジェンドだった。(芸能担当・栗原智恵子)