浅香光代さんの訃報が流れた14日、故人と交流した著名人が追悼。ラジオ共演などで親交の深いタレント、毒蝮三太夫(84)は「覚悟はしていた。曲がったものが大っ嫌いだった」としのんだ。
浅草を愛する生粋の江戸っ子の訃報に、毒蝮は「覚悟はしていた」と声を落とした。
1986年から30年間続いたTBS系ラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」に出演していた毒蝮は、94年から99年まで水曜日パートナーを担当した浅香さんと交流。
2018年2月に行われた浅草寺での節分会を振り返り、「浅香さんが世志さんに寄っかかっててさ。去年、今年と来ていなかったから覚悟はしてた」とポツリ。最後に会ったのは同年5月の「卒寿(90)を祝う会」だった。
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その後は電話や手紙でやりとりをしていたといい、「達筆な筆で書かれた巻物の手紙が届いてさ。筆まめな人だった。『お礼とおわびは早ければ早い方がいい』って言ってたなぁ」と気遣いの人だったと述懐。また、「今でもいい肌でしょ」と“もち肌”を見せられたこともあり、「あんなに自分で自分を褒める人はいなかった」とお茶目な一面をなつかしんだ。
浅香さんの公演に「花より団子」と祝儀を持って訪れたときは「花はもらっても食えねぇ。江戸っ子同士、話が分かるね」と喜んでくれたと明かし、それからずっと団子を差し入れてきた。
今年8月に死去した漫才師、内海桂子さん(享年97)に次いで先輩を失った毒蝮は「2人とも江戸っ子中の江戸っ子。『人のお世話にならぬよう、人のお世話をするように』って気前もよかった。曲がった道もまっすぐ行けっていう人。男を男と思わないサッパリした人だった」としみじみ。「東京スカイツリーのように見上げていたのに、見上げられる人がいなくなって残念で悔しい」と寂しげだった。