日本初“武漢脱出作戦”の真相…安藤優子がキーマンを直撃

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日本初“武漢脱出作戦”の真相…安藤優子がキーマンを直撃
茂木外相を取材する安藤優子(C)フジテレビ【拡大】

 フジテレビは、20日午後4時5分から「報道2020総括SP コロナ知られざる作戦 武漢脱出緊迫の舞台裏」を放送。新型コロナウイルス感染拡大“第3波”の中、全く終わりが見えない闘いの原点が明らかになる。
 番組では、コロナが初めて確認され、今年1月に都市封鎖が行われた中国・武漢市からの日本人救出活動の真相を独自取材。感染症を受け、日本で初めて現地に5回チャーター機を派遣し、828人を救出したその時、何が行われ、救出劇はどのように進められたのか。フリーキャスターの安藤優子がキーマンたちを直撃する。

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 武漢には日本大使館の関連施設がなかった。そこで北京にある大使館から8人の外交官が武漢へ向かった。約1200キロ。全ての交通がストップする中、8人は17時間かけてたどり着く。
 当時、特命全権公使を務め、現場の最前線で指揮を執った植野篤志氏が舞台裏を語る。そこには外交官たちの奮闘、現地の日本人と中国人たちの尽力があった。また、茂木外相にも取材。チャーター機派遣をめぐり、中国とはどのような外交交渉が行われていたのだろうか。
 チャーター機を運航したのは、全日本空輸。中国から運航許可が下り、羽田空港からチャーター機が飛び立つまでの間、現場では何があったのか。一人の社員は「このままでは日本から出発できないのではないかという焦りはあった」と振り返る。緊張高まる時間との闘いが続いた。武漢到着後にもある問題が発生した。チャーター機の機長が当時の心境を語る。
 安藤は「私たちが想像していなかった、知らなかった、感染症と隣り合わせのオペレーション。生々しい証言で初めて知ることばかり。ここまで大変だったのかということをみなさんにもぜひ知っていただきたい」と話し、久しぶりの現場取材に「本当にやりがいがある」とも。
 そして、コロナの報道について「感染症がもたらす全体像が見えてこない中で断定的になるのは危険だということを今回学んだ。全体像が見えていないと正しい共存の仕方も見えてこない。事実関係に基づいたことを粛々と丁寧に伝えていくべき事柄だと思う」と自戒を込め語っていた。

[紹介元] 「芸能社会」の最新ニュース – SANSPO.COM(サンスポ・コム) 日本初“武漢脱出作戦”の真相…安藤優子がキーマンを直撃