林家こん平さん、17日に死去 77歳、「笑点」で人気者

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林家こん平さん、17日に死去 77歳、「笑点」で人気者
林家こん平さん=2018年8月【拡大】
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 落語家の林家こん平(本名・笠井光男=かさい・みつお)さんが17日に誤嚥性肺炎で亡くなったことが21日、分かった。77歳だった。19日に家族葬を済ませていた。
 新潟県の米どころ出身のこん平さんは中学卒業後、故林家三平師匠の東京・根岸の自宅に押しかけ入門。日本テレビ系「笑点」に出演して人気者となり、「1、2、3、チャラーン」のギャグで一世を風靡(ふうび)した。2004年ごろから難病の多発性硬化症を患いリハビリを続けてきた。
 こん平さんは、中学卒業後、芸で身をたてようと米1俵を担いで上京。ラジオで聞いて好きになった三平のもとに押しかけた。「笑点」に出演しボケ役を務めたことをきっかけに、「こん平」の名は世に広まり、一躍人気者になった。

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 62年に二つ目に昇進。徹底的な明るさとはしゃぎぶり、さらにどんな田舎にも仕事に出かける熱心さで売れっ子となり、72年には東京・帝国ホテルで総費用1200万円の真打ち昇進披露宴を行い話題となった。
 「笑点」では大喜利のレギュラーで「チャラーン、ふるさとの男ッ」とけたたましい自己紹介で人気をさらった。なまりを直すため英会話スクールに通い時間があると頻繁に海外旅行に出かけるなど、噺家(はなしか)きっての国際派と呼ばれた。盆踊りなど日本の芸能を海外で披露するイベントも行った。
 小学校4年から6年間卓球を続けていたことから87年には三遊亭小遊三(73)らと「らくご卓球クラブ」を自身が中心になって結成。全日本クラブチーム選手権にも出場するなど本格的に取り組み、2000年には世界ベテラン卓球大会に出場。02年の同スイスルシェルン大会では小遊三とペアを組んだダブルスでベスト16に進出。当時は東京・杉並のバタフライ卓球道場に週1ペースで現れ、3~4時間打ち続けたことから自身を「お笑いスマッシュ人間」と呼んでいた。
 92年には「コシヒカリ」の本場で生まれたことからご飯好きが集まって結成された「日本ごはん党」の発起人に名を連ねた。
 2004年に声帯を患い入院。翌05年、難病の多発性硬化症と診断されたことを公表し、リハビリを続けた。17年に東京都内で開かれた「都電落語会3周年メディアプロモーション」に車椅子に乗って登場し、メディアの前で1年半ぶりに卓球を披露。昨年8月22日に都内で行われた「都電落語会5周年記念感謝祭」でも、卓球をする雄姿を見せていた。

[紹介元] 「芸能社会」の最新ニュース – SANSPO.COM(サンスポ・コム) 林家こん平さん、17日に死去 77歳、「笑点」で人気者