昭和歌謡曲のヒットメーカー、中村泰士さん死去 ちあきなおみ「喝采」など数々の名曲手がけた

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昭和歌謡曲のヒットメーカー、中村泰士さん死去 ちあきなおみ「喝采」など数々の名曲手がけた
中村泰士さん【拡大】

 ヒット曲「喝采」「北酒場」を作曲し、日本レコード大賞を受賞した作詞作曲家で歌手の中村泰士(なかむら・たいじ、本名泰士=たいし)さんが20日午後11時50分、肝臓がんのため大阪市内の病院で死去したことが24日、分かった。81歳だった。葬儀はこの日、近親者のみで大阪市内の寺院で執り行われた。喪主は長男、修士(しゅうじ)氏。昭和歌謡を代表する作曲家が音楽に生きた人生に別れを告げた。
 昭和歌謡曲のヒットメーカーが旅立った。
 中村さんは9月末頃に体調不良を訴え、10月初旬に肝臓の腫瘍が判明し、約2週間入院。抗がん剤治療を開始した。先月16日にはSNSで肝臓がんを公表。転移はなく、一時は医者も驚くほど回復したが、今月上旬から再び入院していた。

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 関係者によると、弱音は一切吐かず、「毎日生まれ変わってる」「俺が死んでも悲しむな」と周囲に話し、常に音楽の話をしていたという。19日に容体が急変し、20日に事務所関係者と姉に看取られ、息を引き取った。今月5日には大阪発のクルーズ船内でライブステージに立ったが、アンコールで披露した「喝采」が最後の歌唱となった。
 葬儀はクリスチャンの故人に合わせてクリスマスイブのこの日、家族10人ほどで執り行われ、棺には愛用のアコースティックギター、楽譜、ペンなどが納められた。
 中村さんは闘病中に11曲を制作していた。本人の遺志により、生前収録した故人の声と生バンドがセッションするメモリアルライブが大阪市内で後日開催される予定。
 奈良県出身で、1957年にロカビリー歌手としてデビュー。楽曲の制作を中心に活動するようになった。ギターは下手だったといい、曲を作るときは頭に浮かんだメロディーを譜面に書いていくため、ジャンルや演奏にとらわれないスタイル。事実上引退したちあきなおみさん(73)の「喝采」は2カ月かけて書き上げたが、「あの歌を超えるものが作れない」と悩み鬱病になったほど。病を女遊びで克服すると、細川たかし(70)の「北酒場」を作曲。72年、82年の日本レコード大賞をそれぞれ受賞した。
 大きな声と明るい人柄で万人に親しまれ、東京と大阪でレギュラー番組を7本持っていたことも。オーディション番組「スター誕生」の審査員は、71年の番組当初から81年まで務めた。晩年も精力的に活動を続け、2017年4月に大阪城ホールで行われた音楽イベント「レインボー1万人の歌謡曲」で指揮を務めたり、歌手をプロデュースするなどしてきた。
 音楽を愛し続けた中村さん。名曲の数々を人々の記憶に残し、この世を去った。

[紹介元] 「芸能社会」の最新ニュース – SANSPO.COM(サンスポ・コム) 昭和歌謡曲のヒットメーカー、中村泰士さん死去 ちあきなおみ「喝采」など数々の名曲手がけた