【嵐 21年間の集大成インタビュー】活動休止延期の選択肢なし 相葉雅紀「何年もかけて決めたこと。覚悟はブレなかった」

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【嵐 21年間の集大成インタビュー】活動休止延期の選択肢なし 相葉雅紀「何年もかけて決めたこと。覚悟はブレなかった」
 国民的グループ、嵐が本紙の取材に応じ、グループ活動休止まで5日となった心境や大みそかの生配信ライブへの思いを5500字にもわたる言葉に込めた。今年は恩師のジャニー喜多川さんの夢でもあった米国公演をコロナ禍で断念していたことを告白。来年以降は個々で活動するが、グループ活動再開の可能性について松本潤(37)は「12月31日まで5人で走り切った後にゆっくり考えればいい」と前向きに語り、今後、嵐を超えるグループが出るかとの質問にリーダーの大野智(40)は「現れないと思う」と唯一無二の存在に胸を張った。

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インタビュー前にリラックスして撮影に臨む左から相葉、二宮、松本、大野、櫻井(撮影・桐原正道)

 --コロナ禍でなかったら、今年はどんな活動をする予定だった
 櫻井「4月に北京の鳥の巣(08年北京五輪メインスタジアムの北京国家体育場)でライブをやって、5月に国立競技場ライブ。それで東京五輪(7月22日~8月9日)・パラリンピック(同25日~9月6日)があって、アメリカでの公演。その後、日本に帰ってきてツアー。ツアーがあろうがなかろうが、12月31日は(ライブを)やるというのが全体像でした」
 --米国への思いは
 松本「ありましたね。先代の(ジャニーズ事務所の)社長であるジャニー(喜多川さん=昨年7月に87歳で死去)がアメリカでエンターテインメントを見て育って、それを日本に持ち込んだのがジャニーズの始まりなので。僕たちが(昨年11月3日から)SNSやデジタル配信をやり始めたのは、よりたくさんの人に音楽を聴いてもらうのが目的ですけど、それを一つの目標として旗を立てるなら、アメリカでライブをやりたいと」
 --実現に向けては
 松本「『Turning Up』(昨年11月3日に配信)のミュージックビデオ(MV)の最後でフォーラム(※5)の前で踊っていて、その会場でライブをやるのが旗の最終ポイントだった。それを形にしてアメリカンドリームをつかめたらいいよねっていう願いも込めて、MVでは誰もいないフォーラムの中で踊って、外でダンサーの人たちと踊りました。1年で自分たちが形にできるかというチャレンジをする予定でしたね」
 --ジャニーさんへの思いは
 相葉「感謝しかないですよね。この5人をくっつけてくれたのもジャニーさんだし、配信という形だけど『新しくなった国立競技場で、嵐でライブができたよ』っていうのは報告したいです」
 大野「ジャニーさんがいたから事務所に入れたし、グループを組めた。すべての始まりはあの人だから。ここまで21年やってこられたのも、いろいろ考えるとやっぱりジャニーさん(のおかげ)だなと思うし。亡くなってしまったけど、見てくれているだろうなという意識でいますね」
 --コロナ禍で活動休止延期をする選択肢はあったか
 松本「なかったですね。コロナがどうなるのか想像がつかないし、いつになったら何ができると確約がない中でそれ(休止延期)をするのは少なくても僕の中ではなかった。みんなでそういう話をしたときに、『ちょっと延ばしてみる?』って会話をしたかもしれないけど、そういう空気にもならないし」
 相葉「僕らが何年もかけて決めたことだし、覚悟はブレなかったね」
 松本「うん。こういうことを僕らに求めているので続けてみませんか?というのをテーブルにあげる人が、誰もいなかったというのも事実です」
 ※5=正式名称は「ザ・フォーラム」。米カリフォルニア州にある屋内競技場で、1967~99年までNBAのロサンゼルス・レイカーズ、NHLのロサンゼルス・キングズの本拠地だった

[紹介元] 「芸能社会」の最新ニュース – SANSPO.COM(サンスポ・コム) 【嵐 21年間の集大成インタビュー】活動休止延期の選択肢なし 相葉雅紀「何年もかけて決めたこと。覚悟はブレなかった」