【Smile Again 21年間ありがとう嵐】(4)聖地・国立で伝説生んだ“松潤の魔法”

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【Smile Again 21年間ありがとう嵐】(4)聖地・国立で伝説生んだ“松潤の魔法”
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 あす、大みそかをもって活動を休止する嵐の軌跡を追った連載の第4回は、5人が国民的グループへの階段を駆け上がり、黄金期に突入する。その象徴が2008年から6年連続で開催した国立競技場公演。国内最大収容人数7万人に夢の光景を与えた松本潤(37)の演出は、彼ならではの発想とたゆまぬ努力の結晶だった。国立を開拓した先輩、SMAPが16年に解散すると嵐はジャニーズの顔となる。
 2006年に初のアジアツアーを成功させ、その勢いに乗って07年に初のドーム公演を敢行。デビュー当時、会場を訪れた事務所スタッフが「こんなに寒いコンサートは初めて」とつぶやいたのが嘘のように熱気であふれ、それまで縁遠かったマダム世代にも足を運ばせた。この頃からチケットがプラチナ化し、一挙に動員できるスタジアムが主戦場となっていく。

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 05年にSMAPが単独で初めて実現させた国立競技場のステージに08年初めて立ち、13年まで6年連続開催の偉業を達成する。今年11月の配信ライブを含め同所公演は16を数え、史上最多。国立は嵐の聖地となった。
 ファンの間で伝説として語り継がれているのが11年9月4日の公演。台風の影響で大雨に見舞われたが、松本が「俺たち5人で、お前ら7万人を元気にしてやる!」と叫ぶと、魔法をかけたように雨がやんだ。
 偶然ではあったが、何万人ものファンを楽しませる奇想天外で迫力あるステージの数々は、必然がもたらした。当時担当記者だった篠田哉(52)は「国立でのステージは、ドームとはまた違った屋外ならではの空間を大きく使った演出が印象的だった」と振り返る。
 松本はジャニーズJr.時代から副社長の滝沢秀明氏(38)の背中を見て育ち、ステージ演出を任されるまでになる。5人が透明な板に乗って客席の隅々まで移動し、真下に見えるファンにも手を振れる画期的な「ムービングステージ」を05年に考案。今やジャニーズライブの定番だ。
 07年はロックバンド、ジュン・スカイ・ウォーカーズの名前から発想を得て、逆さづりで天井を歩く「MJウォーク」で度肝を抜いた。14年には英バンド、コールドプレイのライブをヒントにファンが持つペンライトの色を自在に操る「無線制御ペンライト」を生み出す。嵐のライブ数はけた違いに多く、常に新しいことが求められる。期待を裏切らず、満足できる内容にしようと松本はアイデアを出し続けた。
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[紹介元] 「芸能社会」の最新ニュース – SANSPO.COM(サンスポ・コム) 【Smile Again 21年間ありがとう嵐】(4)聖地・国立で伝説生んだ“松潤の魔法”