【私を支えた言葉】ブルーインパルスパイロット、平川3佐&眞鍋1尉「やる気・元気・負けん気」

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【私を支えた言葉】ブルーインパルスパイロット、平川3佐&眞鍋1尉「やる気・元気・負けん気」
積雪が残る中、ブルーインパルスは1月6日の「飛行初め」で今年初めて大空に上がった(航空自衛隊提供)【拡大】
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 正月が明けた1月6日。地面にうっすら雪が積もった航空自衛隊松島基地(宮城県東松島市)からブルーインパルスが今年の「飛行初め」で青空に向け飛び立った。
 初飛行の平川通3佐(41)は「新型コロナウイルス感染が収まって多くの人に“生”のブルーインパルスをぜひ見てもらいたい」という思いを新たにした。
 ブルーインパルスのパイロットの任期は3年。最初の年は「TR(訓練待機)」と呼ばれる訓練生で、2人乗りの後席で先輩から教えを受ける。翌年に「展示飛行操縦士」という空自内部の資格を取って「OR(任務待機)」となり、独り立ち。3年目は展示飛行をしながら後輩を指導する。平川3佐は1月末にORになったばかりだ。

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 昨年はコロナ禍でほぼ展示飛行の機会がなかった。3月の東京五輪・パラリンピックの聖火到着式で5つの輪を描いた際と、5月に医療従事者ら激励のために東京上空を飛行した際ぐらい。
 訓練は続けたものの、展示飛行を行う基地や地元などとの調整、ファンとの接し方などを実際に体験して吸収することはできず。さらに昨年は、2019年に起きたジェット練習機T-4のエンジントラブルの影響で6月から11月上旬まで通常の6機体制が4機に減るという痛手もあった。
 苦しい状況が重なったとき、「やる気・元気・負けん気」という言葉に助けられた。これはブルーインパルスの隊員だけではなく、パイロットになる教育を受ける航空学生の時に繰り返し唱和させられる“モットー”。平川3佐や、あす2日に晴れてORになる予定の眞鍋成孝1尉(34)は「これにつきる」と口をそろえる。
 さらに眞鍋1尉は「発想の転換」も原動力になったと話す。「『できることで何とかしよう』という考えが根本にある。これはファイター(戦闘機)パイロットの特徴ではないでしょうか」。入隊以来、長期間にわたる厳しい訓練の積み重ねの成果だ。
 2人には個人として大切に抱き続けている言葉もある。平川3佐は「死ぬよりましだ」。小3から中3まで野球に打ち込んだ際、監督が厳しい練習を課しても、部員同士でこの言葉を掛け合って頑張ってきた。
 眞鍋1尉は「曇っていても、いつかは晴れる」。現在、天象気象を相手にしている身だけに実感しているという。
 生きていることは何物にも代えがたい。そのことをかみしめながら努力を続ける。飛行機で上空に上がると雲の上は晴れているように、コロナ禍もいつかは克服できる。多くの人が目を輝かせて、青と白のツートンカラーの機体を見上げる日は必ず来る。(取材構成・梶川浩伸)
ブルーインパルス
航空自衛隊のアクロバット飛行チーム。正式名称は、航空自衛隊第4航空団飛行群第11飛行隊。パイロット有志がアクロバット飛行の練習をしていたことがもとになり、1960年に発足。直後に愛称がブルーインパルスと決まった。現在は2人乗りのジェット練習機T-4を使い、6機編成で、各地の大規模イベントや空自基地での航空祭などで展示飛行を行っている。機体からのスモークによる空中への描画が得意で、1964年の東京五輪開会式で五輪マークを描くなどしている。

[紹介元] 「芸能社会」の最新ニュース – SANSPO.COM(サンスポ・コム) 【私を支えた言葉】ブルーインパルスパイロット、平川3佐&眞鍋1尉「やる気・元気・負けん気」