1947年に住友銀行に入行。70年代、経営難に陥っていた東洋工業(現マツダ)を担当する融資第二部の部長に就き、米フォードとの提携をまとめるなどして、経営再建に手腕を発揮した。
副頭取を経て、87年に頭取に就任。在任中には戦後最大の経済事件と言われたイトマン事件が発覚し、旧イトマンの解体処理などに尽力した。問題の決着にめどがついた93年に頭取を退任。その後も長らくマツダの社外取締役を務めた。
googletag.cmd.push(function() { googletag.display('div-gpt-ad-Rec_Article'); });