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死者・行方不明者約1万8000人の犠牲を出した東日本大震災が発生して、3月11日で10年となる。被災者たちは亡くした家族、知人をしのび、悲しみを乗り越え、故郷の復興に尽力している。その歩みと思いを5回にわたり紹介する。第1回は、津波で児童74人と教員10人が犠牲になった宮城県石巻市立大川小学校で、自身も次女を亡くした元中学校教諭で語り部の佐藤敏郎さん(57)が歩んだ「10年」。
2011年3月11日。佐藤さんは石巻市に隣接する女川町にある、勤務先の女川第一中(現女川中)で被災。生徒たちと避難所や校舎に身を寄せた。2日後、妻、長男と再会し、大川小6年で12歳だった次女、みずほさんが犠牲になったと告げられた。だが「何を言われているのか分からなかった」。
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翌朝、訪れた同小で、泥だらけのランドセルや子供たちの遺体の中に娘がいた。「みずほ!」。名前を叫び小さな肩を揺すると、娘の目からひと筋の涙が流れた。
愛する娘を亡くし、大川小には近づくことさえ苦しかった。だが、教え子たちが背中を押した。
中学再開後、授業で生徒たちに俳句を作ってもらった。「逢いたくて でも会えなくて 逢いたくて」。母親を失った女子生徒の句。「ありがとう 今度は私が頑張るね」「戻ってこい 秋刀魚の背中に乗ってこい」。失った肉親や親友への思いに涙がこぼれた。
「子供たちにとって、被災者や遺族となったことは突然背負わされた荷物でした。でもやがて一緒に生きていかなければいけない荷物と分かってくる。そして私も、その先があることが分かってきた。自分になくてはならない荷物だと」
15年3月に退職。「大川伝承の会」を立ち上げた。校舎が保存されている大川小を訪れる人のガイドや講演で、当時の被害状況や防災の大切さを伝える。現在のコロナ禍ではオンラインでも活動。昨年3月11日には同小から、休校中だった全国の子供たちに語りかけた。
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