その他の写真(1/2枚)
デビュー40周年を迎えた歌手、山川豊(62)。12日には集大成のベスト盤「デビュー40周年記念コンプリートベスト」を発売する。ヒット曲「アメリカ橋」など哀愁漂う歌声でNHK紅白歌合戦に11度出場し、昨年末には心機一転、デビュー当時から所属した大手芸能事務所、長良プロダクションから独立。深夜のスナック回りなど「粘り」と「絆」を信条に歩んだ歌手人生を振り返り、「また一からスタート地点に立った心境」と再出発の決意を語った。(ペン・山内倫貴、カメラ・福島範和)
■ベスト盤12日発売 思い出の美川憲一「釧路の夜」カバーも収録
googletag.cmd.push(function() { googletag.display('div-gpt-ad-Rec_Article'); });
意外にも高所恐怖症。東京が一望できる高層ビルの窓ガラスを背にした写真撮影では「あっ、高いね」と苦笑い。それでもジーンズ姿でクールなポーズを決めた。
1981年2月5日発売の「函館本線」でデビューして40年。同曲で日本レコード大賞など新人賞を総なめにする一方、低迷期もあった歌手人生を「曲を大切に歌いながらつなげてきた」と振り返った。
12日には新曲「男の昭和挽歌」をはじめ全シングル表題曲など45曲を3枚組にまとめた「デビュー40周年記念コンプリートベスト」を発売。注目曲は美川憲一(74)のヒット曲「釧路の夜」のカバー。自身にとって思い出の曲だ。
三重・鳥羽市の漁業一家に生まれた山川は70年代後半、歌手を夢見て名古屋市内のスナックやキャバレーで働き、客のリクエストに応えながら歌って腕を磨いた。カートリッジ式テープ「8トラ」のカラオケが始まった時期で「スナックが唯一の練習場」。78年に18歳でスナック主催のカラオケ大会に出場して優勝し、デビューのきっかけをつかんだ。そのとき歌ったのが、「釧路-」だった。
選曲理由は「あちこちのスナックで歌って一番評判が良かった」から。そうした経験もあり、デビュー当時も歌謡曲ファンが集まる東京・巣鴨や千葉・船橋市などの盛り場を奔走した。
【続きを読む】