少しでも前に進んでみる 甲斐よしひろから教わったこと/芸能ショナイ業務話

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少しでも前に進んでみる 甲斐よしひろから教わったこと/芸能ショナイ業務話
甲斐バンドの左から松藤英男、甲斐よしひろ、田中一郎【拡大】  サンケイスポーツ土曜紙面の大型連載「ヒューマン」の取材で甲斐バンドをインタビューした。リーダーの甲斐よしひろさんとはインタビューやライブ後の打ち上げで何度か話を聞かせていただいたことはあったが、メンバーを交えては初めてだった。 「裏切りの街角」や「HERO」がヒットして、バンドをめぐる環境がどう変わったかという話や、当時20代の若者だったメンバーがどういう気持ちで音楽に向き合っていたのかを聞くことができて、非常に興味深かった(詳細は10月26日付紙面およびネット記事で)。中学1年の頃、自分の小遣いで買った2枚目のレコードが「HERO」だっただけに大興奮した(ちなみは1枚目はゴダイゴの『ガンダーラ』)。 甲斐さんの話はいつも面白く、すぐに引き込まれてしまう。そして、スポーツ新聞をよく読んでいる。解散の話題になったとき、ドラムの松藤英男さんが「甲斐さん、解散?」とオヤジギャグを放つと、すかさず「この前○○スポーツ(サンスポのライバル紙)で、ソフトバンクの甲斐がバントを決めた見出しが『甲斐バント』。(ギャグセンスが)それに近いよ」と真剣な話の中にも笑いを織り交ぜる。 「HERO」がヒットした1979年、ランクインするたび出演拒否していたTBS系「ザ・ベストテン」に唯一出演した回も、司会者(黒柳徹子と久米宏)とは一切話さなかった。当時四国に住む中学生だった私は勝手に甲斐さんは無口だと思い込み、十数年前に初めて会話したとき拍子抜けしたことを覚えている。 甲斐さんの話のうまさは芸能界では有名で、15年前にテリー伊藤さんから「こんなにしゃべれる人、いないよ。何でコメンテーターやらないの」と言われたことがあったそう。甲斐さんの頭の中には、その言葉がずっと残っていて「やってみようかな」と思ったという。 今ではフジテレビ系「バイキング」の隔週レギュラーコメンテーターとして舌鋒(ぜっぽう)鋭く斬り込んでいる。甲斐さんは「僕みたいに口の悪い人間は生放送番組に合っていると(共演の)坂上忍君やヒロミ君から言われた。生本番だと逆に変なこと言わないように注意してしゃべるから」と笑いながら極意を明かした。 同世代の人たちに向けても「自分も60歳過ぎて新しいことをやるようになった。いきなりクリエーティブなことをやろうとするんじゃなく、自分の視野を少しでも広げようと思うか、どうか。人生経験が豊富だと、逆に失敗したときのことを考えちゃう。まずは5センチでも10センチでも前へ進んでみる。そういう気持ちでいいんじゃないかな」と、ゆるーく呼びかけた。 66歳とは思えないエネルギッシュなステージは誰にもマネできないが、常に新しいことに挑戦する心意気や姿勢は、甲斐さんと同じ世代や僕ら50歳を過ぎた後輩たちにとって道しるべになるはずだ。
[紹介元] 「芸能社会」の最新ニュース – SANSPO.COM(サンスポ・コム) 少しでも前に進んでみる 甲斐よしひろから教わったこと/芸能ショナイ業務話