【関西レジェンド伝】林与一(3)人気すぎて脚本変わった大河「赤穂浪士」

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【関西レジェンド伝】林与一(3)人気すぎて脚本変わった大河「赤穂浪士」
若い頃は芝居と長谷川一夫の付き人業で大忙しだった【拡大】  19歳で歌舞伎に一区切りをつけ、東宝に入ります。京都から東京に出て、長谷川一夫の家に住むことになりました。長谷川は、僕の曾祖父である初代中村雁治郎の弟子で、義理の大叔父にあたります。「今度は俺が世話するから、うちに住み込みで弟子奉公しなさい。そうすると覚えるから」と言っていただき、そばについて用をさせていただきました。 映画の大スターだった長谷川一夫が初めてテレビに出演することになったのが、1964(昭和39)年のNHK大河ドラマ「赤穂浪士」です。主役の大石内蔵助を演じる長谷川がカメラテストのためNHKに行ったときに、プロデューサーや原作の大佛次郎先生と脚本の村上元三先生もいらっしゃった。僕も付き人で部屋の隅に座ってたんですね。 僕は歌舞伎のときに村上先生原作の「ひとり狼」という芝居で上松の孫八という役をいただいていたんですが、先生はそれを思い出してくださった。ちょっと扮装して写真を撮ってきてくれと言われ、ありあわせのかつらと衣装を着けたんですが、そのときにお化粧をしてくださったのが、歌手の田辺靖雄さんのお母さん。「堀田隼人の役が決まってないから、出られるといいねぇ」と励ましてくださった。 すると、数日後に長谷川が「おまえ、NHKに出ることになったぞ」。付き人の仕事で精いっぱいだから出たくないと返事したら、「NHKが出てくれと言うんだから、出とけ」と。どうせたいした役じゃないだろうと思って原作を読んでなかったんですけど、脚本ができて読んだら、出番があるわあるわ。 【続きを読む】
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