「鬼の須藤」元芸能リポーター、須藤甚一郎・目黒区議が死去

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「鬼の須藤」元芸能リポーター、須藤甚一郎・目黒区議が死去
1999年、目黒区議に立候補した須藤さん。ワイドショーの顔から転身、地域のために尽力した【拡大】

 芸能リポーターとして活躍した東京・目黒区議の須藤甚一郎氏が、11日に多臓器不全のため神奈川県内の病院で死去していたことが13日、分かった。81歳。通夜は18日午後5時、葬儀・告別式は19日午前10時、世田谷区瀬田3の6の8、公益社用賀会館で営まれる。喪主は長男、健太郎(けんたろう)氏(50)。 須藤さんは昨年4月、目黒区議選で6選を果たした後、9月に熱中症で倒れてから入退院を繰り返していた。60代まで喫煙したことも影響してか、今年5月ごろ肺気胸と誤嚥性肺炎を発症。新型コロナウイルスの感染拡大で家族の面会もできない状況が続いていた。 健太郎氏は13日夜、本紙の取材に応じた。「最後に会えたのは10日。すでに意識は混濁していました。毒舌とか下品とか言われましたが、リポーターとしても区議としても視聴者や有権者の知りたいことを遠慮せず、ズバズバ聞く父でした」と振り返った。7月31日に妻がスマートフォンで孫の写真を見せると、じっと見つめて涙を流していたという。 須藤さんは早大卒業後、女性週刊誌「女性自身」の記者として活躍。1978年に芸能リポーターに転身し、日本テレビ系「ルックルックこんにちは」などに出演した。大物俳優に「君はうんこにたかるギンバエだ」と糾弾されるや「それなら、あなたはうんこか」と斬り返すなど、記者会見で歯に衣着せず質問してタレントの本音を引き出し、「鬼の須藤」と呼ばれた。須藤 甚一郎 (すどう・じんいちろう)1939(昭和14)年1月27日生まれ。東京都出身。早大第二政経学部政治学科卒業後、女性週刊誌「女性自身」などの記者として活動。芸能リポーター転身後はテレ朝系「アフタヌーンショー」などのワイドショーに出演。84年に映画「Wの悲劇」のリポーター役で俳優デビューした。

[紹介元] 「芸能社会」の最新ニュース – SANSPO.COM(サンスポ・コム) 「鬼の須藤」元芸能リポーター、須藤甚一郎・目黒区議が死去