舘ひろし、渡哲也さんの最期に立ち会えず…誰よりも慕った「親方」14日の家族葬にも参列自重

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舘ひろし、渡哲也さんの最期に立ち会えず…誰よりも慕った「親方」14日の家族葬にも参列自重
東日本大震災の発生後、渡さん(右)と舘(左)は宮城・石巻市で炊き出しの焼きそばを作る。強い絆で結ばれていた=2011年4月【拡大】

 10日に肺炎で死去した俳優、渡哲也さん(享年78)を誰よりも慕った同じ石原プロ所属の俳優、舘ひろし(70)は、コロナ禍でお見舞いを遠慮していたため、臨終に立ち会えなかったことが14日、分かった。この日の家族葬にも、渡さんの遺志を尊重して参列を自重。あふれる悲しみをこらえ、東京都内でひたすら仕事に没頭した。 35年以上追い続けた、偉大な先輩の背中。しかし、舘は渡さんの最期に立ち会うことができなかった。複数の関係者によると、舘はコロナ禍の中、渡さんの病室を訪ねることを自重していた。 渡さんは「くちなしの花」、舘は「泣かないで」の代表曲を持ち、互いに「ひろし」「親方」と呼び合い、心から信頼し合う仲。さらに、舘はここ数年、悲哀を感じさせる男やコミカルな役柄で演技の幅を広げてきたが、そこには常に温かく見守ってくれる渡さんの存在があった。 病室に顔を見せなくても渡さんには時折、電話をかけ、仕事や今後について相談。関係者の一人は「臨終に立ち会えなかった舘の無念は計り知れないが、2人の絆は永遠に続くはずだ」と語る。 舘が石原プロに入社したのは1983年。初めて渡さんにあいさつをしたときに、立ち上がって握手をしてくれたことに感動し「この人になら、ついていける」と思い定めたのが二人の絆の始まりだった。 舘は渡さんの臨終に続き、14日の家族葬にも参列を控えた。渡さんが生前、周囲に「俺の葬儀は家族だけでやってほしい」と打ち明けていた遺言を守るためだった。
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[紹介元] 「芸能社会」の最新ニュース – SANSPO.COM(サンスポ・コム) 舘ひろし、渡哲也さんの最期に立ち会えず…誰よりも慕った「親方」14日の家族葬にも参列自重