【評伝】みんな憧れた「団長」大門刑事、昭和の美学貫いた人生

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【評伝】みんな憧れた「団長」大門刑事、昭和の美学貫いた人生
渡哲也さん(2015年撮影)【拡大】

 「大都会」「西部警察」など数々のドラマや映画で存在感を示した俳優、渡哲也(本名・渡瀬道彦)さんが10日午後6時半に東京都内の病院で肺炎で死去していたことが14日、石原プロモーションから発表された。78歳だった。 礼節を重んじ、節度をわきまえた篤実な人柄で知られた渡さん。相手が年下でも、あいさつをするときは必ず立ち上がり、一礼するのが常だった。寡黙ながら人を思いやる男気で、敬愛する石原裕次郎さんから引き継いだ石原軍団を牽引し、昭和の美学を貫いた人生だった。 第二次世界大戦で日米が開戦した直後の1941年12月28日に誕生した渡さんは、4人兄弟の次男。3年前に他界した実弟、渡瀬恒彦さん(享年72)は三男で、長男と四男は幼い頃に亡くした。それだけに恒彦さんとの兄弟の絆は計り知れない深さがあった。 芸能界入りのきっかけを作ったのも弟だった。日活が募集した浅丘ルリ子(80)の主演映画「執炎」に、渡さんが所属していた青学大空手部の仲間と一緒に恒彦さんが内緒で応募。同作では不採用だったが、180センチの長身に空手で鍛えた引き締まった体と甘いマスクに、同社は「10年に一度出るか出ないかの新人」と、第2の裕次郎さんとして育てた。 デビュー当時、失礼な態度を取った記者にアッパーカットを見舞って気絶させた逸話を持ち、恒彦さんと並んで芸能界最強の異名も。アクションスターとして脂が乗り始めた1971年、大学の同窓生だった俊子さんと8年越しの交際を実らせ、結婚。72年には長男が誕生した。 一方で病やけがに悩まされたが、そのたびに不死鳥のように甦った。74年にはNHK大河ドラマ「勝海舟」の主演に抜てきされるも胸膜炎で途中降板し、風邪をこじらせて急性肝機能不全を併発。9カ月の長期入院を余儀なくされたが、大みそかにNHK紅白歌合戦で「くちなしの花」を熱唱した。
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[紹介元] 「芸能社会」の最新ニュース – SANSPO.COM(サンスポ・コム) 【評伝】みんな憧れた「団長」大門刑事、昭和の美学貫いた人生