【朝ドラのころ】1998年「やんちゃくれ」秋野暢子(3)和装の着方から声質まで工夫した講談師役

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【朝ドラのころ】1998年「やんちゃくれ」秋野暢子(3)和装の着方から声質まで工夫した講談師役
23年ぶりの朝ドラで講談師を演じた秋野。当時は子育ての真っただ中だった=1998年撮影【拡大】

 「おはようさん」以来、23年ぶりに朝ドラ出演した1998年の「やんちゃくれ」では、ヒロインの姉(高田聖子)の師匠となる講談師の天神堂紅梅を演じました。 私が先輩にしていただいたように、若い人たちが芝居をやりやすいようにしなくちゃいけない立場だと思って、撮影に入りましたね。 初めての講談師役で、先生にお稽古をつけてもらいましたが、何回やっても自分の中に講談が入ってこない。ヒロインの小西美帆さんの心情を伝えるシーンを担う役でもあったので、講談師の先生や監督に「言葉の表現をもうちょっと現代風にできませんか?」と相談して、若干、一般の人に分かる言葉にして、調子を変えたりしました。 講談師って正座して芸を披露しますからね。帯が上にあると詰まった感じに見えるんで、帯を下げて余裕があるようにしたり、着物のあわせも粋な感じにしたり、普段の和装とは違う着方にしました。それから、声質を高めにして、強弱をつけたり、いろいろと工夫したのを覚えています。 娘は5歳でしたから、東京から撮影現場の大阪に週1、2回通って、ため撮りをしていました。彼女の世話は、当時の付き人だった男性のお母さんが見てくれました。 娘が生後3カ月半のとき、付き人だった男の子のお母さんが北海道から上京して、仕事を探していると聞かされて…。彼がものすごくまじめだったので、「この子を育てた人なら」と思ってお願いしたんです。それ以来、近所に住んでもらって、娘が就職するまで来ていただきました。 娘にしてみたら、おばあちゃんと同じで良い関係です。長期ロケはお断りしたこともあったけど、娘はその人と2人で育てたようなもの。彼女がいてくれたから、安心して仕事ができました。
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[紹介元] 「芸能社会」の最新ニュース – SANSPO.COM(サンスポ・コム) 【朝ドラのころ】1998年「やんちゃくれ」秋野暢子(3)和装の着方から声質まで工夫した講談師役