吉本新喜劇で二枚目役として人気を集め、大阪市議会議長も務めた船場太郎(せんば・たろう、本名・松原昌平=まつばら・しょうへい)さんが27日、死去した。81歳だった。市議を6期24年務め、大阪への五輪招致などに尽力。葬儀・告別式は近親者らで行う。
吉本新喜劇では「セン・バタロウです」と名乗るギャグなどで人気を集め、大阪市議会議長も務めた船場さんが、静かに亡くなった。
船場さんは高校卒業後、「和田弘とマヒナスターズ」のバンドボーイを約1年半務めた。脚本家の故・花登筺さん主宰の劇団「笑いの王国」を経て、1965年に吉本興業入り。スマートでコミカルな演技の「二枚目」として人気者に。花紀京さん、岡八朗さん(いずれも故人)、間寛平らと共に当時の新喜劇を支え、座長格で活躍した。
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「芸能界では活躍できなくなるが、大阪市の接待疑惑なんかを見てると何とかせなアカン。賭けてみたい」
そう言い切って、1991年4月の大阪市議選に立候補。吉本興業も決意の退団を快諾し、芸人仲間も政界入りを後押し。初当選を果たした。
「タレント議員に何ができるんや!」。“吉本初の大阪市議”には、そんな厳しい声もあったが、92年、当時の西尾正也大阪市長に、自ら大阪への五輪招致を提案。お茶の間の新喜劇ブームさながら、市議会にも旋風を巻き起こした。
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