【ヒューマン】出会いがつないだ35周年…坂本冬美の今を支える二葉百合子の歌声と桑田佳祐の心意気

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【ヒューマン】出会いがつないだ35周年…坂本冬美の今を支える二葉百合子の歌声と桑田佳祐の心意気
「週刊文春」でグラビアにも挑戦したスタイル抜群の冬美。まさにエイジレス=東京・神宮前のユニバーサルミュージック【拡大】
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 酸いも甘いもかみ分けた歌手、坂本冬美(54)が35周年を迎えた。2枚組オールタイムベスト盤「坂本冬美35th」には「夜桜お七」「また君に恋してる」「ブッダのように私は死んだ」…彼女の人生を投影した35曲が収められている。「私には歌しかない」。そう言い切る彼女のターニングポイントには、いつも歌との出会い、人との出会いがあった。激動ともいえる半生を冬美自身が歌でひもといた。(ペン・山下伸基 カメラ・蔵賢斗)
■初恋の人が教えてくれたサザン
 偶然聴いた歌との出会いで人生が変わる。それを身をもって体験してきた冬美は、歌との半世紀をよどみなく語った。

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 「おじいちゃんの影響で演歌が好きになり、漠然といつか歌手になりたいと思っていました。それが『津軽海峡・冬景色』に出会って確信に変わったんです」
 小学5年生だった1977年、ブラウン管の中でダイナミックに歌うドレス姿の美女に心を奪われた。19歳の石川さゆりだった。「自分もなりたいと自宅のカラオケで練習を積みました」。華やかなステージを夢見る少女は、恋をすることで新たな歌と出会う。
 「中学時代、山本君という初恋の人がサザンオールスターズを教えてくれたの。さゆりさんもサザンも好き、山本君の奥さんにもなりたい。でも、奥さんになれたら、歌を諦めてもいいと思っていました(笑)」
■「東京が怖かった」下積み時代
 高校卒業後に出場したNHK「勝ち抜き歌謡天国」で作曲家の猪俣公章氏に見いだされて内弟子に。世はバブル全盛期。
 「猪俣先生の運転手でしたから夜の六本木で2、3時間待つのは当たり前。酔っ払いにドアをたたかれたり。田舎から出てきた19歳の私には東京が怖かった。同世代の遊んでいる人を見て、早く歌手になりたい、10年後に笑っていたい、その信念だけでした」
 翌87年「あばれ太鼓」でデビュー。88年に紅白初出場と順風満帆の船出だったが、師匠が93年に他界。道しるべを失った冬美のもとに届いたのが「夜桜お七」だった。
 「ギターのイントロを聴いたとき、ゾクゾクっとした。この曲なら猪俣先生のことを引きずらずに第一歩を踏み出せると思いましたね」
 演歌の概念を覆した斬新な楽曲にレコード会社はシングル化を反対したが、作曲した三木たかし氏が「30万枚売れなかったら頭を丸める」と直談判。94年に発売するや大ヒット、今では演歌のスタンダードナンバーだ。
■紅白のトリ…父の死…活動休止
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[紹介元] 「芸能社会」の最新ニュース – SANSPO.COM(サンスポ・コム) 【ヒューマン】出会いがつないだ35周年…坂本冬美の今を支える二葉百合子の歌声と桑田佳祐の心意気